oohama5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと思っています

原作をどう読み込んでいくか、ドラマ「私を離さないで」

  なんだかんだと書くことが楽しいので、復活。まあ、そんなには更新できないかもしれませんが。今、気になって見ているTVドラマは、カズオ・イシグロ原作の「私を離さないで」です。内容はSFチックなクローン人間の臓器提供のはなしなので視聴率は苦戦しているようですが、大河ドラマなどに主演して、今や日本を代表する女優綾瀬はるかと大作「進撃の巨人」に主演した三浦春馬がでて、原作ものの脚色で評価のたかい森下佳子の脚本でかなり力が入っています。

 原作は図書館で読んだのですが、個人的な思い入れもあって、改めて購入した本です。来日したとき、NHKのドキュメンタリーで作者自ら、もっとも日本人的な感性が現れた作品といっていますが、同感です。それは、人間が人間を家畜化するはなしではないかということです。小説はミステリー仕立てで、幼い主人公たちが育たられる学園で教師に語られる、提供という言葉を手がかりに進んでいくのですが、ドラマでは、もう第2話で原作にない家畜という言葉がでてきます。そのように扱われている人間に気持ちがあるというのは、牧畜がさかんではない、万物に気持ちがあると感じる日本ならではとも思うのです。

 今、家畜の世界ではクローンは当たり前です。技術的には人間にすぐ応用できるでしょう。しかし、それはまずありません。なぜなら、肉にして食べないので、もの扱いはできないからです。ただ、人間が人間をもの扱いにして、利用することは、人間が他者の痛みを体で感じることができない限り、形を変えて普通にあることじゃないかな。イシグロさんはイギリスで福祉の世界で働いていたらしく、移民の扱い、階級社会、その生活の実体がこの小説に色濃く現れているような気がします。施設を出た若いひとが住まされるコテージでのクローンたちの性的な放埓の絶望感って、貧しいひとたちに共通してて、日本でもありますよね。

 原作と大きく違うのは読書する少女が現れ、戦っていく姿でしょう。主人公がなぜ戦わないのか、イギリスでも疑問に思う声があったと、作者もドキュメンタリーでも触れていたような。日本でもそうで、それに対するドラマ側の答えだと思います。まず、少女がハーフであり、人種がちがうことが強調されることも面白いですね。そして、外部からの情報に貪欲で、自分なりの答えを求めていくことは、イギリス的でもあります。そして、それは日系人であり、本のなかに答えを求めたイシグロの立場を暗示しているようにも思えます。

 そして、学園の意味も色々と考えさせられます。管理する方にとっては、教育がないほうが楽です。しかし、外での刺激的な生活で、クローンであることを思い知らせられるより、提供者の意義を洗脳され、そして、ささやかな生活の喜びや知識を教えられることで諦めを知る学園の生活。それは、善意なのか、悪意なのか、学園長の残酷で感情的な振る舞いが強調されています。麻生祐未が演じてますが、うまいですね。朝ドラ「カーネション」でも、繊細な感情を演じてました。学園で外部に求められる特別な才能があるものが、優位に立つけれど、外にでると何も通用しないあたりも、教育のあやうさを象徴的にあらわしているように思います。

 第5話では希望について述べられます。希望があって絶望しても、希望があったほうがよかったと三浦春馬演じる「とも」に語らせています。はじめて彼にセリフらしいセリフを語らせているのが印象的でした。人は人を支配するということの普遍性、群れに奉仕することにあきらめがある日本人の感性、かなわないことのほうが多い人生について、ドラマで読み解くことで、原作に導いていくことは決して無駄な試みではないと感じています。私はこの小説がとても好きです。日本人キャストのドラマで観れたのはうれしかったです。

 

 この本で古代中国の殷のひとが、文字をもたない人たちをいけにえとして狩ったり、宗教的に食べたり、去勢して奴隷にしていたことを知りました。彼らは何年もかかって文字を持つことによって、記憶を定着させ、支配からのがれたのことです。この小説のことを思い出しながら、読んでました。こころを持つって、どういうことなんだろう。

 これも面白かったです。

「わたしを離さないで」の性教育 - エキレビ!(1/3)

的確なレビュー

2016/02/15 00:11

 

www.tbs.co.jp