oohama5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと思っています

マッドマックスのセリフから、考えてみた

 マッドマックスに出てくるセリフ、redemptionが、ちょっとtwitterの話題で出た。前のブログで映画の題名が気になって辞書を引いたあとだったので、思わず調べてみた。どうやら、聖書の日本語訳で使われる「あがない」という言葉にあたるらしい。「あがない」確かに特殊な日本語なので、簡単な聖書の説明などにでてきたとき、印象にのこっていることばだ。redemptionは、生贄にささげるとの意味と、贖罪、罪人をゆるす、転じて何かをとりもどす、約束をはたす意味で使われるらしい。どうやら、家畜をいけにえにする風習に関連することばのようだ。関連語をみると、名詞系のredeemerはキリストそのものを表す。その他、関連語で面白いのは、動詞系のredeemで、日本語では「女郎をみうけする」とかに、翻訳でつかわれているらしい。昔、娼婦は神にささげられた人間のいけにえだと本で読んだことがある。そのことと関係ありそうだ。マッドマックス自体が農業中心に開拓されたオーストラリアの歴史を背景にしていることはすごく感じられた。ただ、redemptionは堅苦しそうな言葉なので、日常でどのくらい使われているのかなぞだ。オーストラリアとイギリスとかでも英語も違うし。しかし、リスニンングできる人って増えたし、英語の教養がある人も多いなあ。私は英語がからっきしなので、誰か教えて欲しいものだ。また、マッドマックス見て、使われている場面を確かめてみたくなった。

 そういえば、この「あがない」っていう言葉も今の日本語ではつかわれない。あがなうということばは、なにかの罪滅ぼしをするとかの意味のほかに、かつては「今日のたべものをあがなって」というふうにお金をものに交換することをきれいに表現するとき、つかっていたようだ。今では翻訳がいる、樋口一葉の文章とかにでてきそうだ。これも、なんらかの背景のあることばだ。言語辞書で調べてみたいって、好奇心がわいた。

 私はことばにものすごくこだわりがあるので、自分がなんとなくわかっている日本語で語られる映画を見ることが多いんだと、このことで腑に落ちた。そして、古い日本映画をみることにこだわるのも、それがあったんだと感じた。古い日本映画はセリフがきちんと語られる。たぶん、まだ、朗読の文化があったからだと思う。舞台人の新劇の役者さんが脇を固めて、きちんとセリフを語っているのもある。私が感じる今の日本映画の弱さは、セリフを語るのに慣れてない役者さんが少なくなったというのもあるかもしれない。

  映像で全てを物語るっていうけれど、北野武の映画はセリフは少ないけど、はっきりと語られていると思う。ことばの使い手の漫才師から映画監督で成功したのはそういった要素もある。ことばが軽軽しいといえば、話がそれるが、ほとんどのJ−POPの歌詞がわからない。 音楽でことばで語るってことだろうと思うけど。たぶん、洋楽のリズムやメロディに乗せることを大切にするあまり、歌詞が弱くなってきたのもあると思う。また、練られた歌詞を乗せる前に手っ取り早くお金にかえてしまうとういうのもある。それもあって、特定のファンとの馴れ合いの中で音楽が作られていることが多いなあと思う。名曲には、趣味嗜好がちがっても、わかりやすい、普遍的なきもちが伝わっている歌詞がある。そういった曲が少なくなり、使い捨ての携帯カイロみたいだったと語ったのは、高田渡だった。日本映画にもその傾向があり、狭い世界に閉じこもって、独特の文法で語った映画が多い。それは、映画が娯楽の一分野に過ぎなくなって、特定のお得意様に向けたものになっていることも多いなあと思う。最近はもう少し広い視野で作られていうように思うけど。

 だから、シナリオをまで、取り上げて、ことばの使い方まで語り合うってありがたい。たぶん、それはすべての映画においてのことばのあつかいに通づると思うからだ。そうすることで、背景もわかるとより深く映画に入り込めるように思う。そんなことばをめぐることを考えてみた。

 

 

 

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