oohama5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと思っています

三遊亭円朝にひかれる何か

 二年ほど前、中村勘九郎一座の歌舞伎「怪談乳房榎」に行った。彼らのびっくりするほどの身体能力をいかしたスピーディなお芝居に感心した。話も面白く、幽霊がお寺にに絵を描きに出てくる場面は、ぞーとする恐ろしさだった。そして、その複雑で奇怪な話が、明治の落語家、三遊亭円朝の作った話であるのを知った。

 で、松井今朝子さんの「円朝の女」という、複数の縁ある女たちとの関わりから、彼の実像に迫った小説を読んだ。円朝は、明治の怪優、澤村田之助の女だった人と関係があったり、落ちぶれた武家の女性に子供を産ませたりで、なかなかに、一筋縄では行かない男だったらしい。

 話がそれるが、松井今朝子さんの小説に、「中村仲蔵」という歌舞伎の名優の伝記もあって、それも読んだ。みなしごから、子役、男妾をへて、大スターになった男の人生も壮絶だった。どちらも彼女の抑制のとれた上品な文章で綴られているが、それらは、舞台の奈落にうごめく、芸にしか生きれない男たちの話だ。そして、その芸道の恐ろしさがほんの少しのぞけた気分になった。落語の話で「中村仲蔵」という話もあるらしい。中村仲蔵忠臣蔵の舞台で、大スターになるきっかけをつかむ話だそうだ。

 落語と歌舞伎は縁が深いようで、円朝は歌舞伎の強い影響を受けて、面白い話をつくり、明治の文学の文体にも影響を与えたすごい人らしい。なかでも、もっと受けたのは怪談で、代表作は「乳房榎」と同じく歌舞伎になった「牡丹灯籠」だ。私は学生時代、図書館で、確か平凡社の全集でかなんかで、怪談牡丹灯籠の元だねであると書かれた、中国の話を読んだ。中国の「牡丹燈籠」は、美女の幽霊にほれた男がとり殺されて、棺桶の中で骨となった美女と発見されるという話だ。その後、彼らは夫婦の幽霊となり、夜会った人をとり殺す。暗に性欲というものの恐ろしさと滑稽さが描かれていた思う。なんとなく、牡丹灯籠を知っていたので、これがどう変わっていったか知りたいとぼんやり思った。

 円朝の「牡丹灯籠」は、映画なんかで見ると、可憐であわれなお露と新三郎の恋の話だ。闇夜に光る、異国情緒あふれる牡丹の灯籠、そして、聞こえる下駄の音を背景に、ほんに純で美しい話だと思っていた。しかし、最近の舞台の「牡丹灯籠」は、脇役である伴蔵、お峰の話を強調して演じられていると聞いている。それで、いつか、きちんと落語の「牡丹灯籠」を聞いてみたいと思った。私はふたりの脇役の話は知らないので、どこが恐ろしいか知りたいと思った。

 で、先日、本多劇場立川志の輔の牡丹灯籠を聞きに行ってみた。最初、牡丹灯籠の概略の説明があり、つぎに落語がある。なんでも、原作の牡丹灯籠は30時間もある長編だったらしい。純な恋愛、因縁ばなし、敵討ち、そして悪に落ちる人間のすさまじさ、そんな盛りだくさんな大作だ。志の輔は、それを自ら編集しなおして、語っているようだ。彼は、もう何年もこの話を本多劇場で語っているので、きっと、そのときどきで語りのツボが違うのだと思う。今回聞いてみて感じたのは、恐怖より、人間の滑稽さあわれさだ。そんな色々あって、物語は、人と人との情愛の美しさで終わる。これは、また、エロチックな話だなあと感じ入った。余談だが、概略のなかで、亡き師匠、立川談志との弟子時代のあらまきシャケの話がはさまれ、談志のいじましさを笑いながらも、懐かしそうだった。そういえば、立川談志もすさまじい芸人だとおもい、生前は話も聞いたこともなかった。

 私が円朝になぜひかれたか。それは、ここまで書いていてもわからない。思い浮かぶのは、ちょっと気の毒なご先祖の噂を聞きながらおびえた、田舎の墓場の怖さであったり、父が語った芝居小屋の子供の旅芸人のなまめかしいあわれさだったり、息子から追い出されて祖父を頼ってきた、大叔母に教えられた花札だったりする。その混沌とした闇へのわからなさが、円朝への興味なんだと思う。

 

怪談 牡丹燈籠 (岩波文庫)

怪談 牡丹燈籠 (岩波文庫)

 

 

 

 


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