oohama5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと思っています

星新一は怖い

今週のお題「ゾクッとする話」

 星新一ばっかり読んでいた時期があった。ナンセンスで笑えたが、どこかひゃーとする感触があった。たくさん短編を読んだが、ほとんど忘れた。けれども、ふいに幾つかの短編が、ひょいと意識に上ってくる。たとえば、この前の原発事故が起こった3.11の地震のとき、短編集「ボッコちゃん」の中の一編、「おーい出てこい」を思い出して、ぞっとした。みんなが見たくないものを、どこかにつながっている穴に捨ててしまうが、それからしばらくしてという話だ。地震は、私たちが見たくないものをどこかに埋めたためだと感じて、理由もなく怖かった。

 そして、乗っている電車が自殺志願者で止まると、「人口維持省」の職員ののんきで寂しげな若者を思い出してしまう。もし、SF小説が未来を予想するものだとすると、平和で豊かな社会の生贄として、弱った人たちが、ちょっとした偶然の重なりで、自ら命が投げ出すことが、交通事故より多くなる社会になると、誰が想像しただろうか。未来、みんながお金持ちになったら、街でフラフラしている悲しげな人たちもいなくなると私は思っていた。確かに、目には見えなくなった。でも、まるでくじ引きにあたったように人が居なくなる。そういう人は、まわりから影が薄くなっていなくなるので、ほとんど家族ぐらいしか、その死を認識していないのではないか。

 星新一の文体は独特でプラスチックのようにつるっとしている。そのひっかかりのなさは、彼の言葉できないなにかの体験を隠しいるように思える。そして、それを一番強く感じたのは、こんな短編だ。言葉を交わさないで、美少女を子供の頃から食べ物を与えて、檻で養う男の話、「ペット」だ。ある日、男がふいに亡くなった。そして、そのあと、その少女を助けようと、遺産管理人が、必死に言葉で彼女に語りかけるが、言葉に恐怖したペットは、男がエサと呼んでいた食べ物を食べないで餓死してしまう。

 こんな似たような理不尽なことが起こったとき、星新一を思い出して、ぞくっとする。そして、本ばっかり、読んでいて、妄想が広がってるだけで、私は大丈夫かなと思う。けれども、たとえば、瀬戸内寂聴さんの「本は読まなくてもいい。でも、人生をカラフルにする」という言葉も思い出す。だから、今は、来たるべき豊かな社会でも、人間のどうしようもなさは変わらない。それを忘れるなという、彼なりの未来を生きる私たちへの贈り物だと思っている。

 

ボッコちゃん (新潮文庫)

ボッコちゃん (新潮文庫)

 

 

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