oohama5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと、書いています。

いいことの対価

 よく、子育て中、言われたことは、子育ては苦しくて当たり前、あとで楽になるよっていう、言葉だ。それを言われたら、今、楽したいんだよって、言いそうになった。思うにそれを言うひとは子育てが苦しかった人なんだなあと、子育てが終わった今思う。なんていうか、だめな体育会の後輩への雑用押し付けってみたいなもんですね。その人たちは、欲求不満をバネにして、子育てをしていた。よく途上国の人がいい生活をするために、夜も寝ないで頑張ってるとかに似ているけど、ちがう。豊かになった日本では、楽しい独身生活とかなさっているかたもたくさんいた。そして、はたから見てうまくいっていても、その人たちへのいわれなき不満がたまっている人たちだった。だから、現在進行系の人にそんなつっぱねたものの言い方をするのですね。

 その人たちになんだかなあと思っても、言葉がでなかったのは、楽するって、子供を置いてお食事に行くとか、かっこいい仕事をすることがうらやましいという、やましい気持ちだったからだと思う。しかし、今、思うに、私の本当の気持ちは、命のつなぎ手としての子育てを肯定したいということだったんだ。はっきり言おう、今の子供達への親を含めた社会の扱いは自分たちの既得利益を奪う存在なんだと思う。今、自殺が多い。それは、みなが長生きして、自分の居場所にしがみつかざる得ないからだ。だから、くじ引きに当たったように、ちょっと弱った人が死んでいく。それはかつて読んだ星新一の「生活維持省」みたいな世の中みたいだ。死が隠され、ずっと同じような生活を望むことは、他者の死を間接的に願うことだ。だから、特別ななにかを子供に持たせるために歯をくしばっての子育てって、当たり前みたいになってるんだと思う。

 ただ、思うには、今の人がつめたいてことではない。誰かが誰かに助けられてることとが見えにくくなっているからだ。昔の村社会では隣の子が自分を助けてくれることがはっきり見えたから、お手伝いしてくれただけだと思う。生存競争ということでは同じだ。そんな理由で、どんな子でも一緒に愛してくれる人たちが少なくなった。その人たちに都合のいい子だったら、愛してあげるっていうのが、今の子育てのつらいところかもしんないな。

 

ボッコちゃん (新潮文庫)

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 この中の「おーい、出てこい」も印象に残った。

 

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