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oohaman5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと、書いています。

家事は惨めだという幻想のわけって、この辺りなのかな

 

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 兼業農家で、自分のところの畑に行ったことがない友人のご主人がいた。古い地主さんだった両親で、肉体労働をさせるぐらいなら、私たちがやって、勉強をさせたいということだったらしい。田舎であるこちらに越してからも、そういうことを自慢する人がいた。そのことを今、90ぐらいの農家のお婆さんに聞いたことがある。なんか、気持ち悪い話だなあと思って。どうやら、それはあるうることらしい。昔は、畑仕事や家事労働がたいへんで、勉強できなかった人が多かった。そして、肉体労働をすることがきつかったから、親は、学問を積んでなれる会社員やら、先生やらに子供をさせたかった。そう思っていたところ、農機具が買えるようになった。これは画期的なことで、耕作面積が小さい農家だったら、こどもが、学校に行っている間にできてしまうそうである。だから、こどものお手伝いはなくなった。それで、こどもに勉強をさせて、大学にやっていい仕事につけさせることができたそうだ。でも、私のこどものころでも、農家はみじめだというのは幻想だ。機械化され、いい肥料があり、農作業は楽になった。昔のように肉体労働がおおくて、まだ、自分のところで食べ物を作る農家の方がマシっていう時代でもない、農家の仕事が嫌いな人はやめてもいい。あまり農業にむいていない土地のひともやめれる。農業は、仕事のひとつなのである。まあ、農協の問題とかいろいろあるから、それでも、農家は損だったといういう人もあるかもしれんけど。

 しかし、明治からはじまった、親が仕事を負担することで、こどもが、勉強の努力によって肉体労働からぬけることに成功したという体験は強烈だ。だから、今でも、仕事が外部化されても残ってしまった家事をだれかが負担することで、勉強や仕事の競争に勝てるという幻想を抱いてる人が多いんじゃないかと思う。実際、みんなが時間が余った分、できる量がふえて、ますます競争が激しくなってと思う。むやみに仕事が多いブラック企業っていうのも、最初はあるかどうかもわからない親や妻の負担込みのような気がするなあ。だいたい、そういう経営者になっている人は、親やら周りの人に強烈にサポートされて、無理した人が多いように思う。もしくは、そういう人と戦って勝ち取った人だ。だから、仕事以外に、身のまわりのことができなくなって、常に人を頼らないければならないのだ。無理した分、同じことを人にもとめてはないかな。そんなことって、私のこじつけでしかないか。

 そういえば、江戸時代の男は水くみに一時間かかるような時代だから、家事ができた。また、人がすぐ死んだので、かんたんに役割が入れ替わるのだ。幸田露伴は妻のかわりに家事を娘に教えた。世の中の近代化って、人を楽にしたのかどうか。自分の限界がのびるということはいいことかわるいことなのか。

 ただ、思うのに、いまどきの便利な世の中で家事を楽しみをもってすることはそんなにむずかしくない。そして、掃除や料理がある程度できるということは、支配、被支配の関係を防ぐことができる。だれかを犠牲にしなければ、生きていけないって、みじめではないかな。

 

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