oohama5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと思っています

なんでもたくさんありすぎる

 ファッションビルの小田急ミロードのCMがネタになったとき、ふまじめにも一番に感じたのはあれだけのお洋服売るのって大変だろうなということでした。新宿には、ミロードだけでなく、伊勢丹小田急、京王、ブランド、そしていろんなファスト・ファッションがあり、全部売るのは大変だと思うのは、田舎住まいだからでしょうか。あれだけの人が集まる新宿では、それらははけるのでしょうか。確かにそれぞれの女性の年齢、収入に別れて服は消費されるのですが、それでも売り切れないのではないかと思います。

  私が若いころはちょうど物がたくさん出まわり始めたときで、知り合いに一日三度着替えて、お洋服を楽しんでいるお金持ちのお嬢様がいました。美しい人でありましたから、すてきとも思いましたが、これから彼女はどうなるんだろうと漠然と怖くもなりました。その後、子どもができたとき、知り合いから教えられトイザラスに始めていったとき、広い店内のたくさんのおもちゃをものすごく興奮して買いまくりました。だから、地元にトイザラスができたときは、逆に何も買えなくてなってました。ものがたくさんあると、私は欲望が抑圧され、選べなくなってしまいます。たぶん、自分がお金を使い過ぎる危険から守るためです。そして、商品が死体のようなゴミに見えて、息苦しいです。それで、時にその縛りが緩んで、なにかを大量に得てしまいます。

 たくさんのテレビのチャンネル、インターネットの情報、本屋の大量の文庫と新書、そして、スーパーの大量の食糧。私にとって、それらを適切な予算で必要なものを買う、そのがまんはたいへんなストレスです。だから、いつでも、欲望はたががはずれそうです。その抑圧のカギを外す装置として、いろんなお得なポイントによる割引やそしてクレジットカードやローンがあります。そうして、CMもあります。今回は、あまりにもみもふたもなく、あせっていて幼稚な心がみえちゃったんですね。

 いまや、世の中は心理学やらなにやらを使って、お金をつかうこと、そのために馬車馬のように働くこと、人をたぶらかすことまで、そそのかしてきます。働いて、お金を使って社会をまわす、それはいいことです。そして、その大量の情報やものを支える仕事に就く人を養っているのです。これを書いていて、しきりに思い出されるのは、ホドロスキーの映画「リアリティのダンス」の冒頭です。彼は、お金が世の中をふりまわしていることを語り、物語が始まります。だいたい欲望をみたすお金があるから、人からぎりぎりまでうばい、極端な貧乏というものもできたのでしょう。今生きるっていうことは、そのお金に象徴される欲望の暴走をどこかよしとすることと、体でそのあやうさとの綱わたりをすることのような気がします。

 

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