読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

oohaman5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと、書いています。

山本周五郎は、過去の現実に興味があった 日本婦道記

読書

 また、かびくさいことを書きます。なんで古い作家さんを読んだ感想を書きつづっているかというと、自分の気づきのきっかけになったことを自分に記録しておきたいこと、そして、書いていて、私は前の世代の生きていた当時の感情にすごく興味があるのことに気づいたからです。同じように、そのこと気にしている人で読み込んだ作家に山本周五郎があります。

 かつて、私は母に結婚するとき、習い事やら、バイトやらやめさせられ、そして、友だちと縁をきることを求められました。だいたい、私が読んだ本をいないときに、しょっちゅう捨てたりするのですね。あのころは、自己評価が低かったので、だいたいは黙って従っていました。まあ、友だちとは縁を切らなかったけど。それは母方の学問のない祖父と、お芝居好きだったり向田邦子を愛読してたりする祖母が、折り合いが悪かったのが背景にあると思います。母は、夫以外の世界を知っている女は愛されないという思い込みが強かったです。そんな母がいやでした。

 そして、その後読んだのが、山本周五郎の江戸時代の武家女性を描いた「日本婦道記」という短編集です。この小説は、昭和十八年の直木賞を受賞しています。そして、唯一彼だけが、そのときの直木賞を辞退しています。そのころは戦争中です。そして、この小説は、彼の貧乏生活を支えた妻が難病になり、幼子を残し死に向かっているかたわらで書かれました。世間の評価はおおむね、今もネットでもそうですけど、日本女性の献身をえがいたものだということのようです。それって、うそではないけれど、残酷ですよね。その中で、確か、琴だったか茶道だったかで、天才的な才能を持つ女性が結婚して止めてしまい、師匠はじめまわりの人ががっかりするという話がありました。のちに、彼女が知り合いの女性に家族への愛、家事労働のたいへんさを、そして、それをしながらだと、中途半端な芸術への追求になってしまうという彼女の悔しさが、まわりの人々と縁を切るという厳しさになったということを語ります。芸術をするということは、裕福な人の道楽なのですね。それは、今もそう変わらないです。ヨーロッパあたりでは、普通そうだと漫画家のヤマザキマリさんの本で読みました。もののない昔はもっときつかったと思います。食べ物も自分たちで畑で作り、着るものも下着から作り、洗濯も手であらってました。特に女性はと絶え間ない出産と育児に追われていて大変だったと思います。子どもがすぐ亡くなる時代です。そのころの感情がよみがえってくような小説でした。それを読んだとき、母の理不尽な要求がうっすらとわかりました。昔にしばられていたんですね。それから、失われた過去の感情について、考えるようになりました。彼は、のちに、「虚空遍歴」という、アメリカの作曲家フォスターをモデルにした、芸術に邁進する男の小説をえがいています。彼の作家としての気持ちが現れていて愛しくなります。

  山本周五郎は、山梨の山村で生まれ、幼いとき、水害で村を去りました。歴史小説にむかったのは、その失われた古い村の江戸時代からの生活と感情を記録したいという思いもあったようです。記憶は感情によって、変わって行きます。戦国時代を美化していく過程をえがいた「彦左衛門外記」とかそうでしょう。その流れでの傑作は、千葉県浦安での青春時代をえがいた「青べか物語」だと思います。最終章で、作者は今の浦安をたずね、仲良くしていた長という少年を訪ねます。成人した少年は先生とのことは覚えていない。記憶とか感情とかは、失われていくものであることを身にしみる最後でした。

 最近ですが、「日本残酷物語」という本で、宮本常一が主として書いた本の共同主筆者として彼の名前があることを知りました。彼は、「忘れられた日本人」で有名で、おもに日本の古い土俗的なものを記録した人です。山本周五郎は同志と感じていたのでしょう。理不尽なこと、訳の分からないこと、それを消し去るのは簡単です。でも、それだけでは、むなしいように思います。

 

小説日本婦道記 (新潮文庫)

小説日本婦道記 (新潮文庫)

 

 

 

 

 

風雲海南記 (新潮文庫)

風雲海南記 (新潮文庫)

 

 山本周五郎が戦争中ほかに何を書いていたか。。