oohama5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと思っています

世の中、親切になってると思う

 しばらくであります。最近、久しぶりにお洋服づくりにはまっていました。なんか、定期的に体をうごかして、自分の思いを具体化したいときがあるんですね。きっかけは、NHKのテレビ「すてきにハンドメイド」です。あれ、なんだか簡単そう、今の自分にもできるかもって、思いました。まあ、こうやって、SNSの隅っこに書き込んだり、現実のいろんな人とのかかわりで、むなしくなってたりしていたんですけどね。二三年前、もう、ミシンなんてすることないや、めんどくさいやって、捨てようかと思ってたのを、10年ぶりぐらいに出しました。そうして、テレビを見続けているうちに、手縫いでお洋服を作っていくのが、密かにはやっているのがわかって、なんだか、嬉しくてなって続けています。

 かつて、縫い物といえば、まず、ミシンを買うことで、やたら敷居が高くなっていました。ミシンって場所をとるし、機械をきちんと動けるように準備したり、長く使うとなると油をさしたりしなくてはなりません。おまけに機械だから早くて、曲線を縫うって器用さと訓練がいるのです。しかし、手縫いだったら、場所もとらないし、途中でなんども止められるし、曲線も時間をかければ、大きな失敗はありません。まあ、若い女性が貧乏になったということもあるかもしれません。目一杯働いているひとも多いしね。でも、私もミシンで作っていたのは、子どもの袋物と夏のワンピースぐらいなんです。それぐらいなら、手縫いでできちゃうよっていうのが、ひそかなブームの理由のようです。ミシンがなければ、布遊びっていう楽しい遊びができないって、つまんないですもんね。

 でも、そんな強迫観念を植え付けられたのは、学校の家庭科の授業にあったのだと今思います。ミシンの使い方中心に学ぶのです。しかし、これってミシン会社の陰謀でもあったのかって思うのです。まあ、大家族で衣服を作る量が大量だった、既製服がほとんどない時代だったら、ミシンを持つこと、使いこなせることが、大切だったんです。私の子供のころ、町の商店街に安くてすてきな子供服を売る店ができて、お母さんたちが大興奮したのを覚えています。いい子供服は買えば高くて、お古で親戚同士でまわしたりしていました。そして、誰かの手作りが多かったです。しかし、家庭科では、なんども練習をしなくては使いこなせないミシンは、不器用なこどもには無理がありました。私の子供たちのころは、年に何回か習うだけの授業になっていて、先生もボタンが取れたら、買えばいいじゃんって感じで教えているので、手芸ぎらい増やしてるなあって言うのが、感想です。

 たまたま、私は高校が家政科が残っていて、先生が熱心にミシンを教えてくれたりしたので、楽しみになりましたが、たいていの人には、めんどくさいもんになってるんじゃないでしょうか。大人になってから、刺し子やら、パッチワークやらの素晴らしさを知りました。そして、もとの縫い物の教え方がわかったのです。本来は、木綿の平織りの日本手ぬぐいで雑巾をぬって、運針という直線縫いを学び、巾着袋、下着である襦袢、そして、ゆかたを縫うというかたちで進んでいったようです。ゆかた地は、昔はもっとちゃっちいので、ひと夏やふた夏でやぶれるようなものだったので、縫い目がぐずぐずでも大丈夫だったのです。だから、どんな不器用さんでも、いざとなったら、やぶれた衣服ぐらい直せますっていう形の教育ができていたのです。昔の古い本によると、、昔の着物は今と違ってかっちりと作られなくて、ぬうのも簡単だったようです。そういって意味では縫い目がほつれないミシンって、衣類の丈夫さを変えて、すごいのです。それをふまえて、改良された、テレビをみて、この手縫いのやり方を教えてくれたら、こどもの家庭科教えるのも習うのも楽しいだろうなあっと残念に思いました。

 そう思ってたら、同じEテレで、同じ先生が縫い物を子供たちに教えてました。ああ、よかったなあと、つくづくうれしかったです。世の中は変わっていきます。変、つらいなあと思っていたことが、少し動くと希望を感じて、ほっとします。

 

いちばんよくわかる 新・手ぬいの基礎

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