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日々の思いを言葉に出来るといいなあと思っています

人を狩るということ 「アメリカン・スナイパー」見てきました

 クリント・イーストウッドの「アメリカン・スナイパー」見てきました。イラク戦争で160人を倒した狙撃兵の自伝ものなので、重すぎるかなと思ったけれど、エンターテイメント映画としても、よくできているので、するっと見れました。個人としての敵役もきちんと描かれているしね。感触としては、ダーティ・ハリーに一番構造として似ているように感じました。どんどん孤独になって、よごれていくヒーローと、救いようの無い敵役、何度も形をかえて語られるクリントの物語の原型です。戦争を舞台にしたこの物語は、最初、主人公の父が息子にかたる狩りの話で始まります。人には、弱くて守らなければならないもの、それを襲うもの、そして、それを守る番犬があり番犬こそが、男の道であると、父は語ります。その話が、主人公を戦争にかりたてた動機である事が、暗示されるのです。家族を食べさせ、守るための象徴としての狩りを学ぶ事で高揚する幼い主人公、それこそが、彼が、戦場で人を狩るスナイパーに天職をみつけた理由なんだろうと感じました。しかし、命を狩ることは、猟師ですら、きつい事です。昔、マタギとかにもいろんな宗教的作法やルールがあったぐらいです。まして、人間です。イラクのような、混乱した社会では、女やこどもまでも憎悪をかきたてられ、爆弾を抱いて向かってきます。その人たちをも殺すことで、彼はどんどんおかしくなっていくのです。

 エピソードのなかで印象的なのは、主人公たちが、敵のアジトの向かいに住んでるある家族の家にあがりこんで様子をみているとき、そこの父親が、彼らの仲間であることを発見し、彼をおとりにして、敵をやっつける話です。そこに幼い息子が出てくるのですけど、子どもからしたら、主人公は、戦争で人をなぶり殺しにするまで頭のいかれた連中から、自分たちを守るために戦争に協力しているかもしれない父親を殺した悪魔のようなやつなのかもと、私は感じました。その辺りを、クリント・イーストウッドは、変な肩入れや説明も迷いも無く、ただ描いています。

 アメリカン.スナイパーは、主役のブラッドリー・クーパーの持ち込んだ脚本で作られているのですが、クリントが、映画をいつも脚本のまま撮っていただけと語っているのは、演出というものの本質を語っていて、興味深いです。たぶん、同じ本を別の人が演出したら地味できまじめなだけな映画になっいたかもと思いました。もちろん、クリントに演出してほしい、クリント向きに書かれた脚本ということもあるでしょう。そこに、クリントの映画界における人を楽しませるための経験、そして彼の人生のなかにある暴力に対する快感とそして嫌悪が映し込まれているので、この映画はざらっとした感触があるのでしょう。

 かつて、映画「ハリーとトント」を書いたハリウッドの脚本家を夫にもつ作家の米谷ふみ子さんが、「硫黄島からの手紙」について聞かれたとき、「あれは反戦映画ではない。」と言ったのが、印象に残っています。モヤモヤとして、言葉にできないのですけど、なるほどなと思ったのです。命の高ぶりをあの映画から感じたからです。クリントの映画の素晴らしさはそんな矛盾をいつも示してるなあって思いながら、この映画を見てきました。

 

 

アメリカン・スナイパー (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

アメリカン・スナイパー (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 

 

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