oohaman5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと、書いています。

庄野潤三 忘れられた第三の新人

 この話に興味持つ人いないと思うけど、書きたいから書きます。数年前、第三の新人として、デビューされた庄野潤三さんがお亡くなりになりました。第三の新人として、デビューされた人のなかで、今も根強く読まれているのは、遠藤周作吉行淳之介だと思います。特に、遠藤周作は、今度、マーティン・スコセッジが「沈黙」を映画化するようで、海外でも読まれているようです。話がずれますが、この映画、結構、地雷なような感じです。彼は真面目な映画を撮ると、ずっこけるので。 そんな中で、第三の新人としてデビューした、庄野潤三は、忘れられた作家といえましょう。彼は、大阪市にある帝塚山学院の、初代学長 庄野貞一の息子です。大阪では珍しい、キリスト教の信者で、大正期の自由教育を目指した人々の子弟です。童謡「さっちゃん」で有名な詩人の阪田寛夫などもそのひとりです。

 彼は、1955年の「プールサイド小景」で芥川賞を取りました。読んでみたましたが、虚無感がつよい小説です。そして、性の匂いが濃い、いい小説だと思います。日常のささいなササクレを描いて、完成度高いです。しかしながら、彼は、このあと、自身の家族の身辺をていねいにえがく作風にかわり、メジャーな舞台から去って行くのです。私が知ったのは、婦人雑誌の書評で、1999年の「庭のつるばら」があって、私が好きそうな本だと思って、読んだのがはじめです。すっかりはまってしまって、最晩年の2005年の「けい子ちゃんのゆかた」まで、読んでしまいました。図書館で、赤い鳥文学賞を取った1972年の「明夫と良二」を探し出して、読んだりもしました。このころの庄野さんは、方向性が定まらなかったようで、児童文学として、発表されています。お兄さんの庄野英二さんが児童文学者だったので、その関係で出版されたのでしょう。これは、子どもたち3人と小田急線の生田に引っ越した、庄野夫妻の生活を細かく描いたもので、小田急沿線住まいの私にとって、とても興味深かったです。そこには、歴史書にかかれていない、当時の生活がありました。彼は、一生をかけて、都市郊外にすむ家族の日常の哀歓を描き続けました。最晩年の2002年の「うさぎのミミリー」のころは、毎年、新潮文庫として、発表され、それで、中野翠さんのエッセイに取り上げられてたりして、小さなブームもありました。

 

 庄野潤三は、大阪の戦前のモダン文化の生き残りです。当時の中産階級の人々は、あこがれて、帝塚山の教会に行ったりしていたようです。そこには、アメリカやヨーロッパ、特に、フランスの文化の香りがしました。その後、彼は、焼け野原になって、文化どころではない、大阪を去り、東京近郊にうつり、作家活動をはじめました。そして、戦後の新しい家族関係を一生をかけて、記録し続けたと思ってます。

 彼の初期の文学は、都市生活者とは、何かということで、「アメリカンスクール」で、同じく芥川賞をとった小島信夫とともに、日本のその後の、都市生活者の文学に影響を与えていると思います。しかし、彼が、その道を捨て、家庭を記録する作家になったのは、残念だけれど、彼の経歴から、必然だと思っています。そこには、命のいとしさと大切さがあります。初期の新しい文学、そして、自己を凝視した後期の文学、地味だけれど、読み継ぐべき作家だと思います。

 

うさぎのミミリー (新潮文庫)

うさぎのミミリー (新潮文庫)

 

 「庄野潤三の部屋」熱心なファンのホームページです。このページ、助かりました。

http://tc5810.fc2web.com/shonotop.htm

 

 

田辺さんも、教会いってたみたいです。