oohama5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと、書いています。

大阪と京都を考える「宗教都市と前衛都市」

 

隠された日本 大阪・京都 宗教都市と前衛都市 (ちくま文庫)

隠された日本 大阪・京都 宗教都市と前衛都市 (ちくま文庫)

 

 

「宗教都市と前衛都市」五木寛之 ちくま文庫

 大阪と京都という町を小説「蓮如」の取材を通して考察した本で、五木寛之の中世への思いを描いたシリーズの一冊。

 大阪城あった土地は、以前に浄土真宗の蓮如が作った「石山御坊」という宗教都市があって、大阪人の個性の底にあることは、とても、納得出来た。大阪人は、横並びの意識が強い。いい意味では、同じテーブルでご飯を食べ合ったり気楽だが、阪神タイガースにヤジをいうおじさんに代表される、人に尊敬のない物言いの人も多い。どうやら、それは、浄土真宗の同朋衆の考え方が底にあるらしい。浄土真宗は、キリスト教プロテスタント的で、食べ物を生産する農民に対して、差別される商人や芸人といった生産しない人々の宗教だった。「石山御坊」は、最高の建築技術が駆使された建築物が立ち並び、おいしい食べ物や、最高の品物があった。そして、蓮如の説教とそのあいまに芸人の歌や踊りが披露されてそれに熱狂する何万の人が住んでいた場所だったらしい。先日、「聖者たちの食卓」という、インドのシーク教徒の寺が、毎日10万人分のご飯を無償で、どんな境遇の人にも配るということを描いたドキュメンタリー映画を見て、圧倒されたが、五百年ぐらい前の大阪で同じようなことが行われていたのだ。それを天下統一をめざす信長秀吉が徹底的に破壊したのは、よくわかる。武家の秩序、農村を中心にすえた社会に反するものだったからだ。

 そして、それに比較して、京都の個性も語られる。はんなりした京都ではなく、新もの好きの猛々しさ、そして死者の世界の身近さだ。伊藤若冲の世界感は、京都の人々の底にある世界観のひとつであるというのは、同感だ。私は錦市場の入り口を訪ねるとそこにある若冲生誕の碑と市場のにぎわいにを見るたび、ここは、色んな人の生活の積み重ねのあとだと圧倒される。そして、たとえば、京都の代表的な企業、任天堂がもともと花札の会社であったってことは、面白いなと思う。子供の頃、ご近所の本屋の前になぜか縦置きのショウケースの中に任天堂花札やトランプが置かれていて、特別扱いされていた。そして、これらはやくざなもんなんだと思っていた。その任天堂が、ゲーム機という、IT産業を応用した娯楽の世界の第一人者になったことを、いかにも京都的だなあと思う。

 この本はあくまでも戦前の植民地で育った五木寛之個人の外から見た考察だと思うけれど、とても刺激的な本だった。