oohama5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと思っています

子どもがいるとややこしい 私は小津安二郎の「麦秋」が好きだ

 

 

麦秋 [DVD]

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 小津安二郎の名作といえば、「東京物語」である。異論はない。その作品群で、長編で、個人的な思い入れが一番あるのは、「麦秋」だ。それは、子どもが、物語の重要な役割を果たすからだ。「麦秋」の中で、原節子演じる主人公は、鎌倉で、両親と兄夫婦とその幼い子どもと、家族として暮らしている。その主人公の結婚が語られる。その中で、彼女が、主人公の兄がやっとこさ探してきた40男とのお見合い話を断ってしまい、家族がもめていらいらする、そのとき、子どもが迷子になってしまう話が好きだ。子育てをしていると、家族がもめると、子への注意がそれて、急に熱がでたりとか、迷子になってすることが多い。子どもは、弱い個体なので環境の変化に弱いのだ。もう、主人公は、親や兄弟に構ってもらえる年ではないことを、この事件は、感じさせる。主人公の意中の人である、母を亡くした幼い子どもを持つ男が、研究職をやめて、生活のために田舎の病院に赴任する。これも、子どもが、変化をうながしているのである。子どもがいると、ひとつ所に留まっていられない。でも、それは、寂しいけれど、悪い変化ではない。主人公は、それをきっかけに、彼との結婚を決意する。

 家族の中で、人がコントロール出来ない、自然として、子どもの存在がある。それは、子どもが日々成長して、変化するものだからだ。日常のなかで、時間を感じさせるもの。それが、子どもだ。そのことが、きちんと描かれているから、私はこの映画が身にしみるのだ。

 今、少子化になっているのは、この変化を社会が嫌っているからだと、私は思っている。子どもが熱を出して、仕事を休む。遊びにも、お金をつっこみにくくなる。人を守る立場にならなければならないから、文句も多くなる。そういった、どうにもならないことが、身近に目に見えるからだ。そうすると、それにあわせて、色々と、周りが工夫しなくてはならなくないって、めんどくさい。子どもという、自然を社会に取り込むことは、能率が悪い。

 小津安二郎の映画の特徴は、家族を描く中で、変化することの、大切さ、切なさを繰り返して描かれていることだ。それは、ありふれた娘の結婚話として現れる。自分のなかに、他者という自然を取り込むことは、傷みをかんじることなのだが、健康に生き抜くためには、必要なことだ。そして、人類としての種としては、忘れては行けないという諦めだと思う。

 文明が進んで、自分が、自然の一部のどうにもならない変化する弱い存在であることを、忘れた振りをすることが簡単だ。だから、私は時々この映画を見る。とても、それが、シンプルに描かれているからだ。変化する物であることを受け入れたいからだ。そして、この映画が、息子夫婦の元から、田舎の兄弟の元にうつり住んだ老夫婦が、夏が始まる前の麦の収穫と、花嫁行列を見ることで終わるのは、嬉しいことだ。麦が実るのは、次の明るく、たくましい夏がやってくることを約束しているからだ。

 この映画は、相米慎二の「台風クラブ」と同じ系統の映画だと思っている。自然が、人の変化を促すって言う、テーマであります。それは、災害の多い日本人の伝統的テーマだと思うな。

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