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oohaman5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと、書いています。

田舎と都会の貧乏は違う。

日々の思い

 

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私が、こちらに住んでから、わかったことは、貧乏が、都会の貧乏と、質が違うということだ。こちらは、貧乏になると、圧倒的に、ものがなかったということが、折々で、分かるのである。

 私が、最初に驚いたことは、子供たちが、小さかったころだ。それは、春の子ども神輿祭りに、集まった子供たちの中で、子供会に入っていない子に、お菓子をあげるかの、議論であった。お年寄りとかが、地域の行事への、奉仕をしないことを理由に反対していた。もうひとつの理由は、一度、お菓子をあげたら、何度も、家に上がり込んで、取りにくるというものだった。若いお母さんたちは、年に一度のお祭りぐらい、そんな角が立つ事は、したくないと、聞かないふりをしてた。今時は、食べ物の少ない時代ではなく、めったにないのである。しかしながら、この議題は、毎年のようにお年寄りの話題になるのだった。

 また、持ち家でなく、アパートだと、貧乏認定されて、子供会、町内会に入れてもらえないということもあった。そうすると、小さい就学前のお子さんに、検診やら、行事のお知らせが、来ないことがあった。20年ぐらい前は、携帯やらが、ない時代だった。だから、よっぽど、人付き合いを、きちんとしていないと、大変だった。親戚とかが、近所にいない人は、子育てで、ふらふらなので、そこまで、きっちりとできないのである。実際、お子さんが、辛いことになった人を知っている。うちは、夫が、近所に気を使ってくれたので、なんとか、参加していた。

 しかし、それだけでは、だめなのである。ただ、外部から来た人は、何かしら、素晴らしいギフトを持っている事を、求められる。実際、地元の人は、先祖代々の土地や、数少ない人材や、そして、かつては、なけなしの食べ物をくれたのである。それを、都会から来た、よそ者は、文句をつけながら、祖末にするのである。腹立たしこと、このうえないと思う。

 そのようなことが、たくさん続いたから、よそ者に厳しくなるのは当然だと思う。だから、私の住んでいる土地は、田舎をよく知っている企業さんが、定着している。また、元々、地方の人が定着率が高い。見えないルールに、しっかり、気づき、行事にしっかり、参加でき、そして、息抜きの方法も知っているのであろう。

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 そうでなく、都会育ちの私たちは、つらいことがたくさんあった。貧乏を全然知らなかったわけではない。少し、違うのである。

 都会の貧乏は、ものがない、貧乏とは、違う。大工さんが、得意先で、最上級のお寿司に、お呼ばれしたりできる。元芸者の奥さんが、いい友禅のきものを隠し持ったりしているのである。そのときは、家族が、暴力とか、片親だとか、悲惨であっても、かつて、いい思いのおこぼれを、手にしたことがあったりする。それに、都会は物が集まるので、安くていい物も工夫次第で手に入るのである。

 だから、貧乏、それは、不幸とは、言えない。良く、宵越しの金はないって、いいますね。探せば、仕事も色々あるし、知恵があれば、たまに、美味しい思いもできる。だから、結構、まぎれるのである。

 都会の貧困の不幸とは、すぐそばに、裕福な人や、幸せな家族がいることへの、渇望である事が、多い。家がゴミ屋敷で、食べ物がなくても、運がよければ、得られるという錯覚なのだ。そして、助けてくれる人が、ころがっていて、選べるという錯覚なのだ。

 今、美しい風景を見ながら、私は、思う。自然が残っているのは、この土地が、お米の生産に適してなかったり、不便だったりするからだ。自然の、荒々しい美しさは、この土地で生きる事の、厳しさの裏返しだ。昔は、厳しかった。そして、そのことは、この土地の人々の思いから、消えることはない。

 

 秋の味覚の採れたてのサツマイモを食べながら、つれづれと思う。もうすぐ、大きな秋祭りだ。それは、ほんとに嬉しいことだと、ここで、しみじみと知った。

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