「むかつく」という言葉が、ちょっと、苦手だ。息子たちが、いっとき、よく使っていたので、とても、気になった。若いとき、よく、私は、食べ物を吐いていた。そのときの気分や、惨めさがよみがえるからだ。息子たちに、言い換えてもらうようにした。
「むかつく」という、言葉がよく使われるようになったのは、人々が、空気を読むことに、敏感になったからだと、思う。自分のなかに相手の行動に納得できないとき、見過ごすのがつらくなったときに、「気持ちが悪い」ということを、強調して、使われることが多くなったのだろう。
ありふれた怒りなどに、使う言葉としては、どうかと思う。しかし、それでも、本当に吐くよりは、ましだ。「むかつく」ということで、相手への気持ちを和らげ、自分を落ちつかせるために、使っていることはわかる。ただ、私は、その感情を言葉にできず、本当に吐いていた人だった。
そこには、自分の感情を、どう言葉にしたらいいかわからず、途方に暮れていた自分がいた。そのころは、素直にいやとか、できないとか、言えず、どうにも、話を作っていた。
そして、気分が悪くなって、吐いて、まわりや、自分を傷つけていた。でも、あるころから、ピタっと止まった。いろんな言葉を知ったからだ。そして、私の気持ちをごまかさず、きちんと聞いてくれる人たちに、出会った。年を取って、寛容にになったのもある。腹におさめるということも、知った。そして、太った。でも、そういう自分、嫌いではないのだな。
世のおっちゃん、おばちゃんたちが太ってくる理由が、わかった。大人になるっていうことは、そういうことでもあるのだ。太って、体型が変わると、話ものんきになった。かつては、ガリガリにやせていて、もっと、理屈っぽかった。話も大げさで、深刻だった。
同じ話も、たかだか、体型で変わるのである。体と、心がつながっていることを、身にもって、知った。もちろん、成人病やらも、気にしなくては、ならない。その、負を含めて、人は変わっていく。言葉は、ゆらぐ。体も、ゆらぐ。そこに、その人のおもしろさが、現れる。
確かに体と言葉はつながっていると、私は思う。
むかつくとかそーゆー気持ちがない話に全力で相槌します - ←ズイショ→