私の節約術「セツヤクエスト」
子どものころ、親戚のおばさんちに行くと、いとことおばさんがスーパーのちらしを前に、特売の商品に丸印をつけていて、うらやましかった。
うちの母は特売に並ンだのを見たことない。まして、娘となごやかにお話して、お買い物の相談をすることはなかった。自営で忙しく、帳簿付けやら、従業員とのやりとりやら、私が小さいときは、お客様用のお手洗いのお掃除までしていて、そんななごやかなひとときはなかったのだった。サラリーマンの妻だった叔母が、いいものを安く手にいれなきゃといっていたのが印象的だった。うちは買わないという選択だったのだ。
大人になって、私は特売品をスーパーで買うのを楽しみにしていた。で、買ってみて、あれっと、思った。まず、お得なものは量が多い。ということは、生ものは4人家族だと腐らせることが多い。大量のお魚なんか、さばいたり、冷凍したりで、ずぼらな私には、無理だ。
じゃあ、サランラップみたいな腐らないものは。これがたくさんあると、気が大きくなって、使い方が激しくなってしまうのですね。
決定的だったのは知り合いの特売好きの主婦の存在だ。いつも、食べ物が余分でくれるのだが、これが迷惑だった。ももをたくさん買ってくばってくれたりするのだが、子どもは小さくて量食べれないし、主人は遅いし。気前がいいといえるが、節約ではないなあ。ものが余るほうが人とうまくいく人多いけど、金はたまらんことがわかった。人付き合いが悪いほうがお金がたまるのだ。
私はやっと、母のやり方の意味を悟った。それで、なんとかなるのだ。物の量ではなく、質で満足感を得ていたのだ。母は。高くても安い大量のアイスはもっとになるが、一個の定価のアイスは何か、やりきった感があるのだ。
いいものをお得にというのは、予算が限られてて、欲しいと思っている家族や仲間がたくさんいてこそなのだ。核家族では特売は必要なかったのだ。いつも、人に配るのも迷惑だしね。
特売ではなく、時間がたくさんある豊かさが、母より人付き合いのいい叔母が私はうらやましかったのだ。でも、分かった、たった一度、いっしょにドーナツやさんで珈琲を飲んだ母との時間の感激は私だけのものだと。
実際、簡単な帳簿を、レシートを足して、日割りするというものを何年かやっているが、特売品を買わなくてもやっていけている。ぜいたくをしても、満足してるから、自然と次回、節約している。人間、毎日大量に食べたり、実はできないもんね。
まあ、親の代からの洗脳かもしれませぬが。こうやって、私は生きてきた。こういうのも、悪くない。