oohama5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと思っています

大阪の背骨を歩く 2

 

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 青空を目指して、ずんずん上町通りを行きます。道幅が広いのに人通りが少ない。お寺も多いのですが、大阪はいかんのやなっと、しみじみ。そんな通り沿い、井原西鶴のお墓がありました。ゼミで「好色五人女」を勉強して、感銘を受けたことを思い出しました。お寺に近づいてみると、人気はないけれど、墓地の門が解放されていて、あっけらかんと清潔に掃き清められています。いいかなと思って、お参りしてみることにしました。

 

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 しっかりと、お参りしてきました。確かに、生きてたんだと思うと生々しい。墓石はちょっとと思ったので、かたわらにあった歌碑を写しておきました。

 

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 元々は俳句の前身の連歌師として、有名だったそうです。

そこから、上本町駅近鉄百貨店が、すぐ、そばでした。かつて、四天王寺に行ったとき、こうの文代さんの個展を発見したところです。すごく、寂れていて、ショックでした。

 こうのさんの扱い、こんなもんなんだって、辛かった。でも、ここだから、頑張って開催したんだと思い直しました。大阪大空襲前は、かなりの繁華街だったのではないかな。駅のカフェでお昼を食べました。その向かいに細い道があって、これが参道なのではと思うと、はたして、その奥に生魂神社はありました。

 

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 生魂神社はなんと、伊勢神宮よりも古いところだそうです。清らかに掃き清められています。

 

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 社殿に有栖川有栖の「幻坂」のポスターがありました。去年、読んで、感心した、 天王寺の七つの坂をめぐる怪奇談の短編集です。彼は、すぐそばの大阪星光学院で青春をすごしたらしい。どうやら、「大阪ほんま本大賞」とやらに今年選ばれたそうで、梅田の本屋さんに、たくさん積んでありました。観光ポスターも。

 

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 モチーフの一つにこの辺りに住んでいた織田作之助の「木の都」という短編がなっていて、はじめて、彼の短編集を読みました。とても、繊細でみずみずしく、モダンで、驚きました。夫婦善哉も美しいですが、戦争の影をふかしげに描いた、この作品も傑作です。彼の像も神社にありました。

 

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 永遠の文学青年という風情ですね。近くに西鶴像もありました。彼もこのかいわいにゆかりが深い人です。

 

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 奥に行くと、泉があり、有名な神社の社が、たくさんありました。源九郎稲荷、浄瑠璃神社、そして、鴫野神社。ここは江戸時代、初めて落語が語られた場所で、記念碑もありました。

 どこか既視感がある。神社の裏口が崖になっていて、かつて、若い時、迷い込んだことを思い出しました。ラブホ街になっていて、午後の曇り空のなか、とてつもなく、恐ろしく感じました。ここが落語の発祥地かと思い出しながら、怖くて境内に入れなかったことを。改めて、真言坂から、表門の方に回ると神社の森が紅葉で綺麗でした。遠くにラブホの惑星が見えます。

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天王寺七坂のひとつ、源聖寺坂、下ると人形でゆうめいな松屋町筋です。

そして、中寺町、真言坂から見えたラブホの反対側が見えます。

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尾根道沿いに四天王寺に向かいます。続きます。

 

 

 

大阪の背骨を歩く

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 すごい青空でした。ツインピークスのチェリーパイがあると聞いて、天満橋あたりに行ったのですが。無くって、クランベリーパイを食べてきました。違うけど、それなりに、美味しかったです。初めての味。

 ぼんやりと大通りを歩いていると生魂神社の神輿の御旅所がありました。神輿がこの辺りまで来るんだと、では、歩けないことはないなあと感じました。それで、晴天の日、内田樹釈徹宗の本、「聖地巡礼」を参考に、天満天神社、難波宮、生魂神社、四天王寺まで、上町台地を歩いて見ました。10キロほどなんですが、まるで、尻尾から、頭までの恐竜の背骨を歩いている気分になりました。

 

 私は、お宮参りも七五三も天神さんだったので、結構、行ってたのですが、改めて、本を読んで、池があることを初めて知りました。何事も先達はってことか。星を写す儀式が行われていたところで、昔はもっと広かったようです。

 

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そばにあるのは、落語の碑でした。調べてみると、今回、吉本の発祥地は天満だと、初めて知りました。

天満は寄席がたくさんあってお笑いのメッカだったのですね。

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 すぐそばに、淀川の支流が流れていて、湿っぽいところだなあと思っていました。今まで、天満橋を渡ったことはなかったですが、橋を渡って土佐堀に出ます。地下鉄では行ったことがあるのですが、天神さんがすぐ近くとはわかってなかったです。そばに朝ドラ「あさが来た」で有名になった大同生命のビルがありました。江坂のハンズそばに空中庭園があるビルがあり、なんとなく知ってましたが、あんなドラマがあったとは

 

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そこから、坂を登ります。これが、上町台地への入り口です。尾根沿いを歩いていくと 

大阪城が見えてきます。大手門の向かいが大阪府庁です。お城のそばにあるからか、とてつもなく大きく感じます。確かに、ここの知事になると歴史的な風景をバックに気が大きくなるなあ。この辺り、歩いたのは初めてです。淀川の川向こうに住んでいた私がいかに大阪を知らなかったを実感しました。

 

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道を隔てて、そのならびに古代の倉庫が再現されています。どうやら、この辺りは穀物の倉庫が立ち並んでいたようです。また、坂道が上がっていきます。

 

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向こう見える森が難波宮の跡です。天智天皇の叔父が都を営んでいたところです。彼に殺された有間皇子のお父さんです。

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都会にあいたぽっかりとした空間。孝徳天皇の時代だけでなく、もっと古い宮殿の後もあって、大阪城のあたりは石山本願寺もあり、聖地であり、権力の中心であることが実感されました。坂を登り、尾根道をてくてく歩いていきます。暖かで、空を感じる日でした。続きます。

「自虐の詩」幸せとか不幸せとか

 この前、映画になった「自虐の詩」を久しぶりに見て、原作を改めて読み直してみた。ヒロインの中谷美紀のベストの演技もあり、堤幸彦の映画としても、良い方なんだと思う。なによりも、東日本大震災直後に見たとき、ヒロインの故郷の風景として、津波が舐めていった海岸線の電車がうつされていて、たまらない気持ちになった。今回、少女のときのふるさとが気仙沼なのに、旅したので気がついたのだ。岬の神社とかが舞台になっている。無くなっている建物も多い。たしかに、この映画が、記録として残っていくだろうと、原作のふしぎな力を感じたりした。

 そして、物語のキモをにぎる人物を女子プロレスラーアジャ・コングが演じてるのもいいのだな。貧乏で苦労したけど、真っ当にどっしり生きてる。こんなに説得力のある配役はない。

 さて、業田良家の「自虐の詩」は最初、ちゃぶ台返しという、かつてのホームドラマのお約束をギャグにして始まる。向田邦子寺内貫太郎一家のような大家族ならともかく、ヤクザっぽいヒモ男が、ブスな女にあたったところで、カタルシスはなく、寒いばかりなんである。ちゃぶ台っていうのは、もう、狭い家にしかないから、貧乏の象徴みたいなもんでもあるからいいのか。

 しかし、漫画は、このどうしようもない男女が、どういう人たちなのか、四コマでさかのぼっていくうち、ささやかだけど、ドラマチックな女の物語が展開されていく。そうして、この世に生まれたことを肯定していく。その過程で、女が、しっかりと、大地を踏みしめていくようになるのは、涙が出てくるような嬉しさだ。そうでなく、ダメになって死んでいく人も多いのに。

 下巻に「おぼっちゃまくん」の小林よしのりの解説があるけど、これもいいのよ。「なんじの隣人を愛せ」ということばが浮かんだ。どうしようもない人にも、幸せな瞬間があり、どうしようもない残酷な運命がある。こんど、NHK業田良家の「男の操」を浜野謙太でドラマ化するらしけど、どうにも救いようがない人にも、これだけのドラマがある、そして幸せになるチャンスがあるっていう想像力は、決して色あせてはいけなんだとういうことを、私に彼のまんがは教えてくれるんだな。

 

 

自虐の詩 (上) (竹書房文庫ギャグ・ザ・ベスト)

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自虐の詩 (下) (竹書房文庫ギャグ・ザ・ベスト)

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自虐の詩 プレミアム・エディション [DVD]

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小説「野火」を読んでみた

 最近めったに起きてない深夜、テレビをみてたら、「100分で名著」という伊集院光の番組が終わりかけてました。島田雅彦が講師で、次週は、この前みた「野火」の監督、塚本晋也がでるっていうじゃないですか。これは読むチャンスだと思い、早速テキストを買って、小説も読みました。

 それで読んだ感想。やはり美しい自然描写が心に刺さる。映画もそれを強調して、制作したとのこと。生き生きしたフィリピンの深い緑に圧倒されます。大岡昇平フランス文学を学び、そのとき、キリスト教に近づきました。なので、原作には教会とか、出てくるのですが、小説を読み解いて、自然こそが神だったという解釈で、その美しさをを描くことを、大切にしたとのことです。

講師の島田雅彦さんも、それが、この小説のキモで、それが的確に表現されているから、映画をみてほしい、そして、原作に触れて欲しいと、改めて思ったようです。

 主人公が自らの自然に引っ張られる場面に、美しい自然を焼く、野火が描かれます。そして、フィリピンから帰国し、武蔵野の荒れ地に住んだ主人公は、幻想としてそこにも、野火を見ます。

 

 やはり、戦後のこころの荒廃をえがいた「武蔵野夫人」は、「野火」と関係があり、同時に描かれたようです。そちらはベストセラーとなったのですが、戦争と性愛の関係性は面白いですね。 大岡昇平が戦争を追求した小説を書きながら、一見、通俗なベストセラーを書けたというのは、 すごく、興味があります。最後のベストセラー、「事件」は、神奈川の相模川以西を舞台にしているようです。そんな文学の軌跡も含めて、読んでみたいと思わせる作家さんとなりました。 

野火 (新潮文庫)

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映画「野火」体験とは何か

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 3年ごしで、塚本晋也、監督、主演の、第二次世界大戦のフィリピン、レイテ島をえがいた映画「野火」を見てきました。残酷描写が怖くって見に行けなかったのですが、いいという評判は気になってました。

 その間、塚本晋也は、ハゲましたが、ぐっといい男になり、シン・ゴジラの舞台挨拶で黄色い声をあげられたり、スコセッシの「沈黙」ではりつけになったりしましたね。

 映画の感想ですが、まず、自然の情景が美しい。撮影も塚本晋也なんですね。そのなかで愚かな人間ドラマが展開されるわけですが。残酷描写、ハンパないです。今まで見たなかで一番ひどい。まあ、私は怖がりなんで、ホラーとか戦争映画とか、ほとんど見たことないのです。でも、びっくりするぐらいです。カンヌで賞をもらわなかったのは、メジャーでうれたり、テレビ放映も、まず、ないからなのかな。大衆に開いてない。

 でも、ロングランになっていることからわかるように、戦争を体験した兵士たちの悲劇を伝えたいという、ひりひりする思いがします。人間ってなにかということに、興味があるひとに伝える、とっても私的な映画です。DVDで、途中でやめたという感想が結構あって、映画館という空間に縛り付けられないと、見にくい映画になってます。

 で、あとで残酷さが残るかなって思ったけど、私は、ドキュメンタリーとかで擦れてたりで、大丈夫なような。あまりにやりすぎると、ホラーなフィクション感が出てくるってのもあるのかな。これって、大岡の体験なのかな。

 気になったので、少し調べてみました。大岡昇平の実体験は「俘虜記」という捕虜になった前後の体験を描いたものが、ほんもののようですね。そのころ聞いた、噂を元に書かれたようです。その体験をした人は、ほとんど生き残っていません。生きて帰っても、精神が不調になったひとが、多かったのではないかな。

 これは水木しげるの「総員、玉砕せよ!」と同じです。近い体験をもとに作られています。その後、書かれた、人々の聞き書き「レイテ戦記」、この三部作を読まないと、この映画の深いところは、わからないかもしれません。

 大岡昇平は、「俘虜記」と「野火」のあいだに、「武蔵野夫人」という、大ベストセラーを書いています。なんだか覚えてるなと思ったのは、エロ映画のなんとか夫人の元ネタなんです。そういえば、軽井沢夫人なんてのもありました。溝口健二で映画化もされています。

 日本映画チャンネルでちらっと見ましたが、いい子ぶったヒロインはじめ、困ったひとしか、出てこないです。古くもあり、途中で挫折しました。サドマゾの匂いのする嫌な話です。ヒロインが、自立感のつよい田中絹代なのもピンとこないのかもしれません。まあ、品のある文芸大作でないと、客は来ないな。脇に、若くして亡くなった、美人女優、轟夕起子。夫役は森雅之、この色々とある俳優さんたちは、今だったら芸能界にいれたのだろうか。あのころの映画界の力は感じますね。

 大岡昇平は女性関係で色々とあった人みたいです。戦前も戦後も、世をはずれたところがあるひとだったらしい。塚本晋也はこの映画で、嫌な気持ちになってほしいと願っているそうですが、戦争画面より帰還後の暗い画面が怖かった。地獄がつづいていくような感じです。人間ってなんなんだという映画だと思います。これからも長く上映されると思いますので、興味のあるひとは映画館で見てみてください。

 


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 このあと、読んでみました。それますが、晩年の「事件」、図書館になくて、いまだ、読んでません。日本文学のマイナー作品って消えつつあるのかな。生き延びるすべに知性とか教養とか役に立つのかなあって、たまに信じたくはなります。

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映画を評論するって、なんだろう。真面目に考えてみた「映画評論・入門」

  このブログで、たまに映画の感想を書いてるが、面白かったとか、ここはも一つとかってことでしかない。でも、自分が生きていた道行で、体験したことを反射させて書いてるので、なにかひとつは自分なりの見方が書けていればいいなあと思っています。なので、本格的な映画評論と私が思っている文章はなにかと思いつつ、この本を読んでいました。 

 モルモット吉田さんが雑誌「映画秘宝」に書いたものをまとめたものらしいですが、私は実は、映画秘宝は読んだことがないです。若いとき見かけたときは、あまりにもホラーとか、カルトな映画の記事が多かったのでびびったし、こっちに来てからは、私が住んでる、ちょっと田舎では、ほぼ、みかけなかったりするんですね。だから、彼の評論を読むのは初めてです。

 で、なかにある、名作とされている映画を、上映時の資料を整理して、今は祭り上げられて語られない、上映時の映画に対する、誤解、そして、欠点、そして、いち早く、気がつかれた映画史的な位置への言及なんかの文章なんか、いたく、共感しました。当時の、名作「仁義なき戦い」とマフィアを描いた、マンダムのCMで人気のチャールズ・ブロンソン主演の「バラキ」が同じような評価なんて、今から考えるとばかばかしいですが、うちの父親が、ワクワクと見に行ってたことが思い出されました。結構、ヒットしたのです。

 あのころ、東映のやくざもを見てるひとは、よほどの映画おたくか、東映映画のコアなファンでしょう。

 でも、のちに、「バラキ」、テレビで期待してみたら、陰気で、地味で、実録ものって、ベタに描くと退屈だというのが、感想でした。確か、あれはゴッドファーザーのスピンオフ的に人気があったのではないかな。今、見てるひとは、ほとんど、いないと思います。そこをきちんと調べて、示してくれるのは、頼もしいなあ。

 映画ライターと映画評論の違いも検証していて、評論とは、じっくりと資料、背景を調べて、映画史的な位置、社会的な意味を考えて、作り手が次の映画に生かすことや、見てるひとが深く映画を楽しむことを示すってことなんだと、改めて感じました。市川崑が「犬神家の人々」のリメイクの際、評論を参考にして、現代的なものを消すためにCGを使ったっていうエピソードなんかそうですね。

 いわゆる映画ライターって、おもに映画の宣伝、紹介に終わっていて、この前、読んだ、某有名サイトの「ムーンライト」の評論なんて、最後は、ださい中年のおっさんの恋愛かよって、BL的な期待に沿わなかったことで、映画はつまんなかったで、終わっていて、がっかりです。

 なぜ、気に食わなかったかまで、少しは、掘り下げてほしかった。主観的で、これでは、好き嫌いでおわる、素人の感想と一緒です。私も見たけれど、地味でわかりにくい映画で、大衆的にどうかなって思うけど、今、アカデミー賞をもらった意義は、感じました。まあ、気に入ったからの贔屓もあるでしょうが。私のみんなに受けるかなっていう、漠然とした感想を説明してくれると、なんだか、納得した気になれる。サイトが安い原稿料で、宣伝で、成り立っているのはわかりますが。

 過去の評論家の人々、淀川長治さんの評論集が玉石混交なことの指摘や、双葉十三郎さんの再評価もうれしかったです。私も、スクリーンの連載、参考にしてました。短い文章で的確で、あっという見方があって、映画館に行こうって、うれしかったです。

 昔は、ちゃんとした評論家がたくさんいたんだな。いろんな文化を背景に、映画で語り合うという、ゆったりとした時間が流れていたのだなあ。

 そんなせわしくなった世の中に、ちょっとした石は投げ込んでる本だと思います。

 

映画評論・入門! (映画秘宝セレクション)

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旅がしたい「芭蕉紀行」

 いつか、芭蕉の歌まくらの旅がしたい。そう思ってたところ、嵐山光三郎芭蕉関連の本をたくさん出しているのを知り、この本を読んでみました。旅案内をしながら、芭蕉の内面に迫った良書。 まず、芭蕉の時代で、失われた道が結構あることがわかって、ためになった。そんなけもの道を踏破するひともいるらしいだけど、私は、もう、無理なんで助かる。

 行ったところで、芭蕉と会話し、その内面に迫っていく。有名な奥の細道もなんだけど、あまり、言及されていない旅のはなしも面白い。

 芭蕉のプライベート、芭蕉芭蕉になった大きな理由もしっかりと言及されている。芭蕉は子沢山の貧乏人のあまりっ子だったが、聡明で感じのいい少年だったらしい。それで、身分の高い武士の若様のお話相手として雇われた。形は台所の係り。しかし、その少年は、若様と一緒に、歴史書に乗るほどの北村季吟なんかの俳諧を学ぶうちに、若様を抜くほどの才能を発揮したらしい。しかし、跡取りだった若様が死ぬと、衆道の相手でもあった青年なんて、じゃまなだけだ。しかし、学問を知り、芸術を知ったので、身分通りの生活には戻れない。それから、芭蕉の放浪は始まったらしい。

 この若き日の喪失が芭蕉の人生を狂わせてしまった。江戸で流行の俳諧師として、成功しても、そのことがもとで、内縁の妻としてとどめた女性と跡取りとして引き取った甥に駆け落ちされたりした。芭蕉が、江戸時代、芭蕉を植えた、草深い深川に隠れ住んだのも、それが原因だったらしいですね。芭蕉門下は、武道の達人やらの激情家が多かったりするのは、芭蕉自身もあれだけの旅をこなす頑強で強欲な人間だったからでしょう。それで、若様を追い詰めたところがあったのかもしれない。

 芭蕉の人生の鍵になったこのことが、過去でもあまり語られていないのは、当時、背景にあった衆道が友情の延長線上のありふれたことだあったこともある。そんな感情を描いた西鶴の「男色大鑑」、漫画でも読んでて良かった。当時の感情が少しは想像できる。読書って、繋がってますな。そんな芭蕉が、奥の細道で、俳句を通して、死を知った人間の根本を求めていく。それを旅で追体験してみようっていうのが、この本の趣旨みたい。美味しい食べ物なんかの話もあって、お気楽に見えますが。

 で、私、お盆休み、この中の野ざらし紀行の話にあった小夜の中山、夫の運転で行くことになりました。旅って、面白いんで。

 

 

芭蕉紀行 (新潮文庫)

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