この前、映画になった「自虐の詩」を久しぶりに見て、原作を改めて読み直してみた。ヒロインの中谷美紀のベストの演技もあり、堤幸彦の映画としても、良い方なんだと思う。なによりも、東日本大震災直後に見たとき、ヒロインの故郷の風景として、津波が舐めていった海岸線の電車がうつされていて、たまらない気持ちになった。今回、少女のときのふるさとが気仙沼なのに、旅したので気がついたのだ。岬の神社とかが舞台になっている。無くなっている建物も多い。たしかに、この映画が、記録として残っていくだろうと、原作のふしぎな力を感じたりした。
そして、物語のキモをにぎる人物を女子プロレスラーのアジャ・コングが演じてるのもいいのだな。貧乏で苦労したけど、真っ当にどっしり生きてる。こんなに説得力のある配役はない。
さて、業田良家の「自虐の詩」は最初、ちゃぶ台返しという、かつてのホームドラマのお約束をギャグにして始まる。向田邦子の寺内貫太郎一家のような大家族ならともかく、ヤクザっぽいヒモ男が、ブスな女にあたったところで、カタルシスはなく、寒いばかりなんである。ちゃぶ台っていうのは、もう、狭い家にしかないから、貧乏の象徴みたいなもんでもあるからいいのか。
しかし、漫画は、このどうしようもない男女が、どういう人たちなのか、四コマでさかのぼっていくうち、ささやかだけど、ドラマチックな女の物語が展開されていく。そうして、この世に生まれたことを肯定していく。その過程で、女が、しっかりと、大地を踏みしめていくようになるのは、涙が出てくるような嬉しさだ。そうでなく、ダメになって死んでいく人も多いのに。
下巻に「おぼっちゃまくん」の小林よしのりの解説があるけど、これもいいのよ。「なんじの隣人を愛せ」ということばが浮かんだ。どうしようもない人にも、幸せな瞬間があり、どうしようもない残酷な運命がある。こんど、NHKで業田良家の「男の操」を浜野謙太でドラマ化するらしけど、どうにも救いようがない人にも、これだけのドラマがある、そして幸せになるチャンスがあるっていう想像力は、決して色あせてはいけなんだとういうことを、私に彼のまんがは教えてくれるんだな。