oohama5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと思っています

「自虐の詩」幸せとか不幸せとか

 この前、映画になった「自虐の詩」を久しぶりに見て、原作を改めて読み直してみた。ヒロインの中谷美紀のベストの演技もあり、堤幸彦の映画としても、良い方なんだと思う。なによりも、東日本大震災直後に見たとき、ヒロインの故郷の風景として、津波が舐めていった海岸線の電車がうつされていて、たまらない気持ちになった。今回、少女のときのふるさとが気仙沼なのに、旅したので気がついたのだ。岬の神社とかが舞台になっている。無くなっている建物も多い。たしかに、この映画が、記録として残っていくだろうと、原作のふしぎな力を感じたりした。

 そして、物語のキモをにぎる人物を女子プロレスラーアジャ・コングが演じてるのもいいのだな。貧乏で苦労したけど、真っ当にどっしり生きてる。こんなに説得力のある配役はない。

 さて、業田良家の「自虐の詩」は最初、ちゃぶ台返しという、かつてのホームドラマのお約束をギャグにして始まる。向田邦子寺内貫太郎一家のような大家族ならともかく、ヤクザっぽいヒモ男が、ブスな女にあたったところで、カタルシスはなく、寒いばかりなんである。ちゃぶ台っていうのは、もう、狭い家にしかないから、貧乏の象徴みたいなもんでもあるからいいのか。

 しかし、漫画は、このどうしようもない男女が、どういう人たちなのか、四コマでさかのぼっていくうち、ささやかだけど、ドラマチックな女の物語が展開されていく。そうして、この世に生まれたことを肯定していく。その過程で、女が、しっかりと、大地を踏みしめていくようになるのは、涙が出てくるような嬉しさだ。そうでなく、ダメになって死んでいく人も多いのに。

 下巻に「おぼっちゃまくん」の小林よしのりの解説があるけど、これもいいのよ。「なんじの隣人を愛せ」ということばが浮かんだ。どうしようもない人にも、幸せな瞬間があり、どうしようもない残酷な運命がある。こんど、NHK業田良家の「男の操」を浜野謙太でドラマ化するらしけど、どうにも救いようがない人にも、これだけのドラマがある、そして幸せになるチャンスがあるっていう想像力は、決して色あせてはいけなんだとういうことを、私に彼のまんがは教えてくれるんだな。

 

 

自虐の詩 (上) (竹書房文庫ギャグ・ザ・ベスト)

自虐の詩 (上) (竹書房文庫ギャグ・ザ・ベスト)

 

 

 

自虐の詩 (下) (竹書房文庫ギャグ・ザ・ベスト)

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自虐の詩 プレミアム・エディション [DVD]

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「カラフル」原恵一の世界を読み解く

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 東京国際映画祭で「クレヨンしんちゃん」の監督のひとり、原恵一の特集があった。彼の「しんちゃん」を離れての映画をなんとなく見続けていた。名監督、木下恵介の戦中を描いた実写である「はじまりのうた」。ちょうど、戦前の傑作「陸軍」みた直後で、加瀬亮がわりと好きなんで行ったのだと思う。「百日紅」も杉浦日向子歴史観が好きだし、北斎の娘おえいのことに興味があった。そして「カラフル」も次男さんがえらく感動していたので、改めて見てみたいと思った。映画評論家の町山智浩さんとの対談があると知って、なんとなく気になる理由がわかるかなっと思って行ってみた。

 見てみると、二子玉川駅二子新地駅あたりが舞台設定なのね。実は落語にひかれて、大山街道を踏破したとき、すごく印象に残っている場所だからだ。なぜならば、大好きな岡本太郎の母、かの子の実家、大貫病院跡は二子新地にあり、太郎のモニュメント公園があるからだ。そこは、神社の裏地の遊郭跡らしいところを歩いた、多摩川堤防沿いにあった。並びには、大きな、さびれた鮎料理をだす料理旅館がある。この場末感があるところが、この映画の重要な舞台となっていた。対談によると、歩いている時間感を再現したらしいので、ちょっとシンクロした。たぶん、二子新地にある大山街道ふるさと館の散歩マップに載っているので、この辺りに住んでる人は、歩かれたひともあると思う。

 大山街道は、山の中から溝の口駅におり、二子新地多摩川の向こう岸の二子玉川のきらびやかな高島屋の裏手の庶民的な商店街を通り、尾根沿いに世田谷の陣屋のあとあたりにいく。溝の口は、町山さんの対談に出てきた、監督が尊敬している脚本家、山田太一の住んでるあたりだ。そして、その道は世田谷陣屋をくだって、「サザエさん」の舞台である桜新町へ続いているのである。他のインタビューだと、監督はサザエさんのファンらしい。古代からの多神教的信仰の場所である大山へのみちに沿って鉄道がひかれている。鉄道って古いみちをなぞっていることが多い。そこを新興住宅がのびていき、新しい家族生活がはじまった。そのモデルケースとして、松竹の家族映画があり、サザエさんがあったのだ。私も世代的に古臭いと思うサザエさんを愛読していた。私の場合は、関西の田舎の文化圏に育ったからだと思っている。そういった私は、核家族って、ちょっとピンとこなかったのである。だから、そういった生活の途中である、世田谷あたりの大家族は、安心感があったのだと思う。

 大山街道は玉川新地から関東の縄文的な山みちに入っていく。岡本太郎がここに根っこがあったのも体感できた。なるほど、ここは都市生活と土俗との境目だったのだ。監督は群馬の出身だそうだけど、私の群馬を旅したイメージは、軽井沢あたりから信州に向かって古代のなごりに吸い込まれている感じだ。ここも電車が古代からの道をなぞり、河岸段丘の崖の墓地の集団を横にとおる。古代の集団墓跡だ。

 諸星大二郎があの辺りにルーツがあるらしいけど、とてつもなく、泥にまつわりつかれるような感じがある。いうなれば、個人が土俗的な集団に埋没させられる恐怖だ。土俗的な集団にしても、家族にしても、個人が埋没させられるのは恐怖だ。その主体性を取り戻す場所が、二子玉川の対岸の二子新地に設定されたのは面白いなあ。

 原恵一のアニメ「カラフル」は原作と随分と改変されていた。それについて、書いてみたい。

続きます。

「アウトレイジ」無常といういこと

 ヤクザ映画なんだけど、「アウトレイジ」シリーズ、三作見てしまった。加瀬亮インテリヤクザとか、三浦友和さんの親分とか。二作目では、新劇出の渋い脇役の塩見三省さんの悪役とか、北野武監督は、見てみたいなと思える演技を引き出してくる。

 今回の映画でも、病み上がりの塩見さんが老残のヤクザを醜く演じてて、嬉しかったなあ。一作目の北村総一朗の親分もだけど、叩き上げで演技力があるから、便利に使われがちの俳優さんに、しっかりと見せ場を作ってくれる。

 「あまちゃん」のインタビューで、田舎の価値がみえるアキちゃんよりも、田舎の金持ちで、縛られているユイちゃんのほうが、きついって言っていて、それを支える演技をと言っていて、しっかり、世の中を見てる俳優さんだと感じた。この役も役者の業だけでなく、生にしがみつく老人の暴力性を客観的に演じてる気がするな。

 ピエール瀧が演じるヤクザが、おこなったあやまちをごまかすために、ビートたけし演じる大友の子分を殺してしまう。無能で理不尽な親分のもと、責任をごまかすために、たかがチンピラだと言い放つ、塩見三省の補佐。これって、最近、政界あたりで聞いたようなセリフ。その辺りがいい。責任をとらないで、組織が崩壊する。世知辛いなあ。前作まではファンタジーぽかったけど、今回の映画はがっつりと日本の現実につながっているのだ。

 そんなごまかしの世界で死の世界からよびだされ、仁義という名のもとで、理不尽な破壊行動をする大友。無常観が、たまらない。

  それで、たった1時間45分の映画なのだ。撮影もどっかのお屋敷を借りて、レクサスなんかを走らせてるだけなんだけど、スーツ姿の男たちが綺麗だし、なによりも映像が美しいのだ。

 

  音楽もいいです。

outrage-movie.jp

 

町の生活がしみじみと「パターソン」

 

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 かつて、アメリカの作家性の高い監督、ジム・ジャームッシュの映画に、永瀬正敏が対等な感じで出演したときは、嬉しかったです。で、改めて、彼が出演するということで、心惹かれて見に行ってきました。

 ニューヨークの近隣、東京からいうと埼玉的な場所に、ニュージャージー州があります。その古い町、パターソンに住んでいるバスの運転手で詩人である、パターソンさんの生活を描いた映画です。古い町並みが残っているけど、活気のある町です。まだ、こんなところ、アメリカにも残っているのですね。綺麗な滝がある公園があって、行ってみたいなあと思いました。尊敬をもって、バスの仕事を通して、町の風景をていねいに描いています。人種も多様で、実際、調べてみると、たとえば、アラブ系の比率が全米で2位ぐらいらしいですね。奥さん役がイランの女優さんなのも納得です。

 主役のアダム・ドライバーは元海兵隊員だったそうで、本人らしい写真がちらっと写ってました。奥さん役のひとも歌や絵画が得意らしい。そういった俳優さんたちの経歴をきちんと織り込んだ、ていねいな脚本、いいなあと思いました。永瀬正敏は話にからむ役ではないとの批評がありましたけど、人生が反映された役だし、素晴らしい英語の発音から、彼の精進が見えて、心地よかったです。

 パターソンはアメリカらしい詩を形作った詩人のひとり、ウィリアム・ウィリアムズが、町の平凡なひととして生活し、活動したところだそうです。その人生を監督の映画人生と響かせた映画で、永瀬正敏もその同志として出演しているのです。

 この映画は、アメリカの詩がわかっていないと、なかなか深くわからないと思うんですが、生活のなかの微妙な喜怒哀楽を感じとっていくことの大切さ、地道な努力のなかで、アートを続けていく意味を、おかしみを含めて描いたんだと思います。

 かわいいブルドックが愛犬役として出てますが、この話の鍵となってるのもいい感じです。

  

guide.travel.co.jp

 なんか、行ってみたくなったので、タイアップされたツアーガイド貼っておきます。ニューヨークからバスで一時間半らしいです。

paterson-movie.com

ゆがんでいてもいい「エル ELLE」

 オランダの映画監督、ポール・ヴァーフォーヴェンの新作「エル ELLE 」見てきました。代表作、ロボコップ、下品な感じがやさぐれて、かっこよかったですね。この新作は、フランスの女優、イザベル・ユペールを主役にした映画です。彼、もう、80才になるのか。わざわざ、このためにフランス語をきちんを勉強したらしいです。ガッツあるなあ。人間っていう矛盾した生き物を面白がって作っていて、今にがつんとあたってくる面白さです。

 あるゲーム会社の社長である一人暮らしの女性が暴行されたがで、始まる話です。でも、彼女は警察を頼れない、あるわけがありました。ここまで、ひどい理由はそうないかな。そんなことがなくても、泣き寝入りが多い犯罪です。

 でも、そこは成功を勝ち取れる、したたかで、知性のある女性、で、結構、主人公がエッという行動に出ます。でも、ゾクゾクするような恐怖もですが、彼女がわかってくると、納得できるはなしなんですね。特に途中でわかっちゃう犯人との関わり、変ですが、ありえないことではないと思わされます。

 それは、長い間、正義や倫理を理由に、いじめるのが本性である人間の部分にさらされて、戦ってきた主人公だからこその行動なんです。どんな人間も美しさとみにくさをもっていると、体ごと知っていった、彼女だからこそだと感じました。だから、さいごに、親友の女性、そして、犯人の妻も、彼女に共感します。

 そんななかで、訳ありの両親をみとり、息子が親になっていく人生の変化もしっかりと描かれているのも渋い。若いとき、なんだか、地味な大女優だった、ユペールが64才で、こんなにエロく、美しく、貫禄のある姿で、現代的な女性として演じ切るのっていいなあと思います。

 

gaga.ne.jp

映画「野火」体験とは何か

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 3年ごしで、塚本晋也、監督、主演の、第二次世界大戦のフィリピン、レイテ島をえがいた映画「野火」を見てきました。残酷描写が怖くって見に行けなかったのですが、いいという評判は気になってました。

 その間、塚本晋也は、ハゲましたが、ぐっといい男になり、シン・ゴジラの舞台挨拶で黄色い声をあげられたり、スコセッシの「沈黙」ではりつけになったりしましたね。

 映画の感想ですが、まず、自然の情景が美しい。撮影も塚本晋也なんですね。そのなかで愚かな人間ドラマが展開されるわけですが。残酷描写、ハンパないです。今まで見たなかで一番ひどい。まあ、私は怖がりなんで、ホラーとか戦争映画とか、ほとんど見たことないのです。でも、びっくりするぐらいです。カンヌで賞をもらわなかったのは、メジャーでうれたり、テレビ放映も、まず、ないからなのかな。大衆に開いてない。

 でも、ロングランになっていることからわかるように、戦争を体験した兵士たちの悲劇を伝えたいという、ひりひりする思いがします。人間ってなにかということに、興味があるひとに伝える、とっても私的な映画です。DVDで、途中でやめたという感想が結構あって、映画館という空間に縛り付けられないと、見にくい映画になってます。

 で、あとで残酷さが残るかなって思ったけど、私は、ドキュメンタリーとかで擦れてたりで、大丈夫なような。あまりにやりすぎると、ホラーなフィクション感が出てくるってのもあるのかな。これって、大岡の体験なのかな。

 気になったので、少し調べてみました。大岡昇平の実体験は「俘虜記」という捕虜になった前後の体験を描いたものが、ほんもののようですね。そのころ聞いた、噂を元に書かれたようです。その体験をした人は、ほとんど生き残っていません。生きて帰っても、精神が不調になったひとが、多かったのではないかな。

 これは水木しげるの「総員、玉砕せよ!」と同じです。近い体験をもとに作られています。その後、書かれた、人々の聞き書き「レイテ戦記」、この三部作を読まないと、この映画の深いところは、わからないかもしれません。

 大岡昇平は、「俘虜記」と「野火」のあいだに、「武蔵野夫人」という、大ベストセラーを書いています。なんだか覚えてるなと思ったのは、エロ映画のなんとか夫人の元ネタなんです。そういえば、軽井沢夫人なんてのもありました。溝口健二で映画化もされています。

 日本映画チャンネルでちらっと見ましたが、いい子ぶったヒロインはじめ、困ったひとしか、出てこないです。古くもあり、途中で挫折しました。サドマゾの匂いのする嫌な話です。ヒロインが、自立感のつよい田中絹代なのもピンとこないのかもしれません。まあ、品のある文芸大作でないと、客は来ないな。脇に、若くして亡くなった、美人女優、轟夕起子。夫役は森雅之、この色々とある俳優さんたちは、今だったら芸能界にいれたのだろうか。あのころの映画界の力は感じますね。

 大岡昇平は女性関係で色々とあった人みたいです。戦前も戦後も、世をはずれたところがあるひとだったらしい。塚本晋也はこの映画で、嫌な気持ちになってほしいと願っているそうですが、戦争画面より帰還後の暗い画面が怖かった。地獄がつづいていくような感じです。人間ってなんなんだという映画だと思います。これからも長く上映されると思いますので、興味のあるひとは映画館で見てみてください。

 


nobi-movie.com

 このあと、読んでみました。それますが、晩年の「事件」、図書館になくて、いまだ、読んでません。日本文学のマイナー作品って消えつつあるのかな。生き延びるすべに知性とか教養とか役に立つのかなあって、たまに信じたくはなります。

oohaman5656.hatenablog.com

 

 

oohaman5656.hatenablog.com

 

 

映画を評論するって、なんだろう。真面目に考えてみた「映画評論・入門」

  このブログで、たまに映画の感想を書いてるが、面白かったとか、ここはも一つとかってことでしかない。でも、自分が生きていた道行で、体験したことを反射させて書いてるので、なにかひとつは自分なりの見方が書けていればいいなあと思っています。なので、本格的な映画評論と私が思っている文章はなにかと思いつつ、この本を読んでいました。 

 モルモット吉田さんが雑誌「映画秘宝」に書いたものをまとめたものらしいですが、私は実は、映画秘宝は読んだことがないです。若いとき見かけたときは、あまりにもホラーとか、カルトな映画の記事が多かったのでびびったし、こっちに来てからは、私が住んでる、ちょっと田舎では、ほぼ、みかけなかったりするんですね。だから、彼の評論を読むのは初めてです。

 で、なかにある、名作とされている映画を、上映時の資料を整理して、今は祭り上げられて語られない、上映時の映画に対する、誤解、そして、欠点、そして、いち早く、気がつかれた映画史的な位置への言及なんかの文章なんか、いたく、共感しました。当時の、名作「仁義なき戦い」とマフィアを描いた、マンダムのCMで人気のチャールズ・ブロンソン主演の「バラキ」が同じような評価なんて、今から考えるとばかばかしいですが、うちの父親が、ワクワクと見に行ってたことが思い出されました。結構、ヒットしたのです。

 あのころ、東映のやくざもを見てるひとは、よほどの映画おたくか、東映映画のコアなファンでしょう。

 でも、のちに、「バラキ」、テレビで期待してみたら、陰気で、地味で、実録ものって、ベタに描くと退屈だというのが、感想でした。確か、あれはゴッドファーザーのスピンオフ的に人気があったのではないかな。今、見てるひとは、ほとんど、いないと思います。そこをきちんと調べて、示してくれるのは、頼もしいなあ。

 映画ライターと映画評論の違いも検証していて、評論とは、じっくりと資料、背景を調べて、映画史的な位置、社会的な意味を考えて、作り手が次の映画に生かすことや、見てるひとが深く映画を楽しむことを示すってことなんだと、改めて感じました。市川崑が「犬神家の人々」のリメイクの際、評論を参考にして、現代的なものを消すためにCGを使ったっていうエピソードなんかそうですね。

 いわゆる映画ライターって、おもに映画の宣伝、紹介に終わっていて、この前、読んだ、某有名サイトの「ムーンライト」の評論なんて、最後は、ださい中年のおっさんの恋愛かよって、BL的な期待に沿わなかったことで、映画はつまんなかったで、終わっていて、がっかりです。

 なぜ、気に食わなかったかまで、少しは、掘り下げてほしかった。主観的で、これでは、好き嫌いでおわる、素人の感想と一緒です。私も見たけれど、地味でわかりにくい映画で、大衆的にどうかなって思うけど、今、アカデミー賞をもらった意義は、感じました。まあ、気に入ったからの贔屓もあるでしょうが。私のみんなに受けるかなっていう、漠然とした感想を説明してくれると、なんだか、納得した気になれる。サイトが安い原稿料で、宣伝で、成り立っているのはわかりますが。

 過去の評論家の人々、淀川長治さんの評論集が玉石混交なことの指摘や、双葉十三郎さんの再評価もうれしかったです。私も、スクリーンの連載、参考にしてました。短い文章で的確で、あっという見方があって、映画館に行こうって、うれしかったです。

 昔は、ちゃんとした評論家がたくさんいたんだな。いろんな文化を背景に、映画で語り合うという、ゆったりとした時間が流れていたのだなあ。

 そんなせわしくなった世の中に、ちょっとした石は投げ込んでる本だと思います。

 

映画評論・入門! (映画秘宝セレクション)

映画評論・入門! (映画秘宝セレクション)