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日々の思いを言葉に出来るといいなあと思っています

詩集を読んでみる「原民喜詩集」

  図書館で読んだ原民喜の「夏の花」を読み返したいと探していたら、2015年に岩波から詩集が出ているのに気がついた。梯久美子さんの本で紹介されていた詩がきちんと読めるのがうれしかったです。遠藤とのいきさつを描いた、小説「永遠のみどり」の木々の緑をモチーフにした詩、 「永遠のみどり」改めて、刺さりました。そして、遺書にかかれた「悲歌」こんなもん贈られたら、作家になるしかないでしょ。遠藤周作

 詩に独自性があり、戦前の作品でも何らかの形で残ったと思われる作家さんですが、原爆小景という一連の詩から死に至るころの詩はとびぬけていて、一へんを読むのが怖い詩もあり、「永遠のみどり」は原爆をうたって詩というだけでない、普遍性があるように思います。この詩集についている、研究者の竹原陽子さんの年譜は、梯さんの本の年譜と違うまとめられ方をしているのはにくいですね。本に省かれていた義弟との関係や、梶山季之ら、広島の文学青年とのかかわり、死後、どう読まれていたかもわかります。1975年に三省堂の教科書に「夏の花」はのせられているのですね。2010年に漫画にもなったみたいで、原民喜は低く底流のように読まれ続けていたのだな。この詩集を読んで、また、詩を読むことについて、考えてさせられました。

 話はそれますが、この頃、詩につよい本やさんに巡り合ったのもあるのですけど、詩集をよく読んでいます。そこで能町みね子さんも関わった、尾形亀之助の詩集を見つけました。私は親族とまずいのですけど、どうしても、会わないければならないとき、ずっと読んでました。

 私が詩の形式につよい作家さんにひかれるのは、東日本震災以後、世の中が不幸を美談で流し込もうとしているからではないかな。今、詩は音楽の歌詞として生き残っているのですが、ことばがダイレクトに入ってくる音がない詩というかたちは、けっしてすたれるものではないと思います。言葉にしたくない思い、できないとき、まだるっこいみたいですど、詩というものはきっと寄り添ってくれると思います。原民喜はそうしたなかで、必要な人に寄り添うために、ひっそりと復活したのだなと感じます。繁栄していようが、不幸であろうが、生きるかなしみというのはつきまとうように思うのです。

原民喜全詩集 (岩波文庫)

原民喜全詩集 (岩波文庫)

 

 

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原民喜を発見する「原民喜 死と愛と孤独の肖像」

 「この世界の片隅に」関連作品を見てみたら、原民喜について語ったこの本が紹介されていた。作者の梯久美子さんは、映画「硫黄島からの手紙」の原案のひとつになった「散るぞ悲しきー硫黄島総指揮官・栗林忠道」で世に出た人だ。

 私にとって原民喜は気が弱くて奥さん頼みの、原爆について書いた人だったという感じだ。私は神奈川近代文学館遠藤周作展も長崎の記念館も行ったのだけど、彼と友人だった原民喜についての展示は素通りだった。彼は戦前から「三田文学」、「近代文学」という慶応卒業生の同人誌を主に寄稿していた人だ。同人誌といえば、マンガだけど、文学に才能が集まった時代、メジャーになれない作家がたくさん作品を発表していたようだ。  

 そのなかで彼が残した「夏の花」は原爆の翌日に書かれたメモをもとに、その時の感情と情景をなまに残そうとした稀有な作品だ。それに至る人生、そして、その後の人生をたどり、なぜ彼がこの小説をかけたか、そして、未来に何をたくしたかを知るいい機会になった。

 生活能力にかける原は、早くに庇護者である父を亡くしたうえ、学生時代、いじめにあう。そして、やっとこ、文学の才能にひかれた友人にみいだされた。文学は当時のめぐまれた青年のぐれかただったようだ。戦前の文学者の特別な立場がみてとれる。

 しかし、仕送りで生きていた彼は戦争を背景にした家業に反発するも、情けない青春を送る。縁あって文学好きの奥さんにめぐりあい、まともな文学が書けるようになるが、有力者の佐藤春夫に会いに行くのも奥さんと一緒という感じなので、奥さんは疲れ果てて、終戦の前年に結核で死んでしまう。原は人の気を吸い取ってしまうのだろう。そういう、強い我を持つ人なのだ。そののち、戦争の破滅を感じながら、故郷広島に逼塞する。そうして、彼は原爆に会うのだ。

 皮肉なことに戦争でもうけた父が建てた頑丈な家のおかげで、彼は無傷で助かる。そして、原爆の地獄絵を中年の静かな目で目撃することになる。生きづらく、死に常に呼びつけられていた彼は、それを残すことを天命感じた。この本を読むと、メモが細かく紹介されているが、避難場所で被爆者の悲鳴を聞きながら描く原の業を感じると、恐ろしくなってくる。そして、作家としての潜在能力の高さに驚く。それに少し加筆したり、省いたりをしたのが、小説「夏の花」なのだ。

 岩波文庫版の解説を、小説集の出版に力をつくした妻の弟さんが書かれているが、「夏の花」は「死者の眼で外界を眺めるのを常としていた作者が逆に生に甦った」小説だと語られている。それは、まるで地中にいたセミが脱皮する過程を目撃しているのような感じである。そういう強い命の力を感じる作品だ。

 そして、書き上げて、死の準備をしつつあった彼が出会ったのが、遠藤周作だったらしい。彼は陽気なふるまいの裏に、虚無をかかえた文学青年だった。ふたりは家族をやしなっていた若い女性と三角関係にも似た友情をはぐくむ。しかし、原はその闇を察して、デートに誘った女性を映画館に置き去りにしようとした遠藤を止めようとしたりした。

 長崎の記念館にある、遠藤の全集に入っていない二人の手紙のやり取りが紹介されている。なにしらの過ちを犯した遠藤を原が励ました手紙だった。遠藤がはためには、ぐずな彼を支えたように見えたが、実はどうしようもない虚無を抱えた遠藤を支えたの原だったようだ。「沈黙」のキチジロー、「私が捨てた女」の男は遠藤のありえた姿だったのだなあと初めて実感した。それは父性にも似た愛だったようだ。しかし、彼らが成長し、遠藤がフランス留学を決意し、女性が貧困から脱して、一人になると、原はいよいよ死を決意していったようだ。

 そして、親族、友人に何通もの遺書を書き、遺品を整理して、JR中央線に身をなげた。愛を強く感じ、そして、それを人に強く残そうとする男だった。学生時代、影が薄くて、親しい友人以外誰も覚えていなかったらしいけれど、そのなかにこんなにも強いものがあるのかと解き明かされると驚いた。

 私が行きづりにあった何人ものひとのなかにも、このような背景があるのかもしれないなあと思った。人とはなんと面白いものか。作者はさらっと描写しているが、当時、三田文学の代表的な立場のひとだった柴田錬三郎、そして、遺書を送った友人のひとりに梶山季之があるのに驚く。そういった、原とは異質なひとたちはどう彼を思っていたのだろう。

 柴田錬三郎は、戦争中、原の葬儀の言動などから、俗なひととして、作者は切り捨てているが、映画スターの市川雷蔵が育てたイメージとはいえ、転びバテレンの息子、眠狂四郎を思いついた人だ。大衆作家である梶山季之は、広島の文学青年で「夏の花」の熱烈なファンだったらしい。広島の平和公園の原の墓碑を立てる運動をしたそうだ。そのあたりも知りたいと思う。

 原民喜の「夏の花」を図書館で読んだ。1986年版が大切に読まれていて傷も少ないのに胸をつかれた。これからもひっそりと読みづづけていかれる作品だと思う。そして、震災といったわざわいが前向きにという名で消費されつつある今こそ、よみがえるべき作品だと思う。

 マンガ「この世界の片隅」での最後、広島を訪れた主人公がつぶやくモノローグは、「夏の花」の続編である「廃墟から」の最後の光景を引用したものから生まれたと知った。この一連の作品は詩人でもあった原民喜の静かな文章と詳細な悲劇のリアリズムの現実性から、そこで何があったを強くかんじさせてくれる。

 そして、原は遠藤と女性に、ある詩を託した。それは何を意味するかを考えると切実なきもちになるのだ。

 

 

原民喜 死と愛と孤独の肖像 (岩波新書)
 

 

 

小説集 夏の花 (岩波文庫)

小説集 夏の花 (岩波文庫)

 

 

水木しげる 魂の漫画展 漫画についてつらつらと

 

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特別展・企画展|展示案内|龍谷大学 龍谷ミュージアム

 お彼岸のお寺の法要の帰りに「水木しげる 魂の漫画展」を見てきました。幼少期の絵画から代表作の原画。なかなかに充実した展示でした。最初にお弟子さんだった池上遼一さん出演の13分の映像。「クライングフリーマン」好きだったなあ。

 どう水木マンガが描かれたか、実演つきです。話されるエピソードも面白かった。鬼太郎の週刊少年マガジンの執筆は三日の期限だったので、当時チーフアシスタント的立場のつげ義春とふたりで必死で落ちを考えていたとかも、言ってましたね。まんがの細密な背景も展示されていました。数々の背景がコピーされて使いまわされていたんですね。美大を落ちたり、中退した水木先生が、バイトの美大生をこき使って書かせたという怨念都市伝説は聞いていたのですが、どうでしょうか。

 見てた当時、背景とのほほんとしたキャラの違和感はすごく感じたのですが、これは水木プロのしごとだよってことがきちんと展示されていて潔いなっと感じました。ほぼ、池上先生が書かれたとされる絵もしっかり展示されてました。悪魔くんの雑誌連載のころは、つげ義春タッチがすごく色濃くて、改めて読んでみたいと思いました。つげ義春さんは白土三平さんを手伝っていた時は白土タッチで、いろんな人を吸収していったんだなと感心してましたが、改めて水木マンガを通しても、マンガ史上の影響があったんだなと感じました。

 じゃあ、なにをもって水木まんがというのか。幼いころの絵画作品が絵本がほとんどだったことからわかるように、何よりも物語を語りたい人だったんだな。そして、それは晩年のえほん作品からも感じました。では、何がすごいか。それはキャラクターの造形なんだろうなって。この前、「中国嫁日記」の井上純一さんがtwitterでいっていたことがヒントになりました。奥さんのユエさんというキャラクターが案内してくれることで物語にはいりこめると。なるほど。

 鬼太郎といい、ねずみ男といい、あんなことをしそうだ、あんなことを言いそうだってことのような気がします。それがものがたりを転がしていく。悪魔くん河童の三平というかわいらしい人たち、そして、おどろおどろしい妖怪たちを形作る力、それが水木まんがのキモなんよって教えてもらいました。

 戦記マンガの代表作「総員、玉砕せよ」もみっちり展示されています。そして、水木少年が、のんのんばあとみた境港の正福寺の地獄極楽図のレプリカもありました。すばらしい絵画で、どんな田舎でもしっかりした絵があることは、大切なことだなあと。水木先生はこういうのが書きたいと強くゆさぶられたのだろうな。

 ビデオが終わるとスクリーンの裏はガラス窓になっていて、向かいにある西本願寺の伽藍が幻想的に見えました。あっと思ったので、御覧の方に失礼かもと思いながら、写真を撮ってしまいました。大谷探検隊仏教美術中心の美術館ですけど、京都駅から20分ほどで近く、ならびに元祖クッキーの松風を売る亀屋陸奥があり、京都水族館京都鉄道博物館もそばなのでいい感じです。ちらほら来てる外国人観光客が、どん欲にショップの漫画本を求めてたりします。このあたりは意外に行くところがあります。

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www.kyotorailwaymuseum.jp

www.kyoto-aquarium.com

ジャニーズってなんだっただろう。芸能のおわり

 

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 滝沢秀明が引退としって、なんだか終末観にとらわれている。体調が悪いせいかな。私は決してジャニーズのファンじゃない。でも、気にはなる。言動から見てるとホストクラブのリーダーみたいな感じだ。なんか、体育会系の流れが続いて縮小するんだなと感じた。偏見かもしれないが、まあ、ショーの現場監督としてはいいのかもしれないが、社長ではないな。

 SMAPTOKIOが売れ出したころから、ジャニー喜多川さんという人は仕事に違和感を感じていたような気がする。美青年としての魅力がある人を目一杯見せびらかして、二十五ぐらいでアイドル卒業。その後の人生はいい思いをした思い出で生きていけるみたいな。貧しい時代、花の十代のあと、子供をもって苦しくても、次代をはぐくむ。そして、寄る辺ない男は死に近づいていくような。

 今の世の中の一番変わったことは人はかんたんに死なないということだろう。そういう時代の生き方として、そういうやり方の継承をさせるっていうことはどうかなあと思う。そういったジャーニーさん世代の混乱が今の世界を混乱させているような気がするな。まあ、ジャニーズの会社に安く食べれる社食がはじめてできたそうですが、そういったことは滝沢さん周辺が思いついたんだろうな。今まで、平等に食事を配るという発想もなかったんだろうと思う。

「アンダーグラウンド」を再び読む

 

 

アンダーグラウンド (講談社文庫)

アンダーグラウンド (講談社文庫)

 

 

村上春樹すげえなあと思ったのは、「ねじ巻き鳥クロニクル」、「アンダーグラウンド」、翻訳「心臓を貫かれて」が書かれたころだ。読んで後悔もした。毒が強すぎる、ちょうど、赤ん坊を育ててるころだったから。

 今回、本を手に取ってみると、手ずれがひどく何度も読んだ跡がある。なぜなら、夫の親族のところにいったとき、修行の話とともに、麻原彰晃のポスターが堂々と飾られていたからだ。夫と両親はけげんな顔をしていた。そのとき感じたのは、この人たちはテレビも見ない、ワイドショーとかの下世話なはなしも必要なんだなというしょうもない感想だ。先日、映画をふたりでみにって、私たち夫婦頑張ったんだなと思った。

 そんな私もテレビでオウムの人たちがおもちゃになっている姿をみて、吐き気がして避けてしまってた。エッセイストの中野翠さんもそうだと後に読んで、そういう反応の人もいたのかと思った。それはそれで問題もあると今は思う。地下鉄サリン後、親族は某新興宗教に入信することで、教団をのがれた。それもすさまじい話だと思った。

 

 そんなことから、自分の身近に起こったことを、どう感じていいかわからなかったから、この本はささった。そして、その渦中に踏み込んだ村上春樹が、深くきざまれた。

 この八月、再読してみた。淡々と語られる話、こんなにもひどい話だったのか。特に井上嘉浩の同級生のインタビューは見方が変わった。高校時代、彼がバスで井上にあって少し話をしたとき、暗い、合わないって、すぐ避けたって語っているのが気になった。以前も引っかかっていた。もちろん、自分には危険な人物ということだと思うけれど、彼はすぐ東京に転校したんで、井上が高校でヨガなんかに凝っているのを聞き伝えたようだ。

 彼は能力があってチャラくて、おおらかな青年だなあと。しかし、彼が妻の親の会社に転職したのは、どこか、深く傷ついていたのだと、その後の人生はどうだったかと気になった。違う人とどう付き合うかってことを色々と考えさせられた。そのあたりもオウムのはなしのキモかなっと。

 あと、改めて印象に残ったのは、妊娠中に夫を亡くした女性のはなしと障碍者になった妹と彼女を支える兄一家のはなしだ。淡々と筆記されているが、村上春樹の感情がずしんと響く。被害にあわれたひとは沈黙している。自分の今までの人生をどう感じていたかもわからない。かろうじて生きている女性には、目に光が宿ってはいるらしいが。失われたものはわからないというむなしさを感じた。デビュー作「風の歌を聴け」で病院にいる不幸な女性のエピソードがラジオから聞こえてくる。言葉にならないことへのアクセス。

 95年は、私はいろいろとあった。多くの人がなにかしら関係があったのかもしれないが、ほとんどの人が沈黙を守っているのではないかな。その、なにかしらの間接性に深く切り込んでくれたのが村上春樹だと思っている。

 この記事を書いて公開するのに時間がかかった。もう九月だ。でも、あえて私の整理としてとどめたい。

あの頃何してた?「SUNNY 強い気持ち・強い愛」

sunny-movie.jp

 「SUNNY 強い気持ち・強い愛」、ダンスと音楽、カラフルな映像、楽しかったなあ。あの頃のコギャルたちの自己主張、姉さんは、頼もしく見ておりました。元コギャルの篠原涼子小室哲哉のもとで歌っていたのをいかしての熱演。バラエティに出てたときから、さっぱりして、安定してるのが好きだったなあ。ごひいきの渡辺直美も出てて、本格的なダンスを披露。やさぐれた、ともさかりえ、姉御な板谷由夏、そして、コメディセンス抜群の小池栄子。よくぞ生き抜いてくれたと思う面々。そして、今回はコメディ演技の千葉すず、そして、体育会系のさわやかな山本舞香、池田イライザの色っぽい暗さ、SUNNYのコギャルグループのお嬢様方、ルーズソックス可愛い。

 小沢健二の「強い気持ち・強い愛」がメインの曲になっているんだけど、知らないのは少し残念だった。コムロさんの曲はテレビとかの露出度高かったし、クラシックしか聞かない偏りの、うちの夫が渡辺美里のファンだった流れで全部聞いてて。そこが謎なんだけど、小室さんと同世代だから、ものすごくシンパシーを感じていたのだろう。この前の安室奈美恵の引退にも反応してた。あ、ちなみにオールナイトニッポン、そういえば、たけしのラジオは聞いていたらしい。ラストの方、池田イライザが抜群のモデル体型で、安室ちゃんの「sweet 19 blues」のMVの衣装と同じ感じの着てて、感激した。

 小沢健二の曲は95年の夏の曲だったのを調べて知った。阪神淡路の地震のとき、次男の臨月で一週間ほど予定日がずれてしまった。たまたま、仕事を休んでいた夫と涙してみていた。私の親族が淡路島にゆかりがある人たちで、洲本の母の実家は何ともなかったけど、父のひいじいさんの家は崩壊した。主人公は淡路島から東京に転校ということだけど、島はほんとに局地的な被害で、むしろ、その後の荒廃がじわじわとしてつらかった。東京へのすぐの転校はどうかな。まあ、ど田舎で口がものすごく悪いっていうのは、ほんとだけど。淡路のヒーロー的、きむら緑子さん、お母さん役、うれしかったな。まあ、子育て真っ最中、まだ、キラキラが残っていた渋谷センター街の賑わいをうたっていた、この歌を届かなかったのだろう。名曲だと思う。キャストのみんなが踊りまくるラストは泣かされてしまった。失われた健全さのような気がして。誰かのお父さんらしい同世代も泣かされていました。あの頃を生き抜いてきたひとに何かしら響く映画だと思うな。

 

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デビット・リンチの謎

 

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 池袋の文芸座で上演権がそろそろ切れるというデビット・リンチの特集がやっていたので行ってきた。放映時、映画館で見たのはその当時愛読していた「デューン 砂の惑星」ぐらいなのだ。その後、見たのは高倉健が絶賛していた「ストレイト・ストーリー」。なぜ、彼がって不思議で、素直できれいな映画だった。あれ、思ったより、共感できるって思った。

 ツインピークスは放映時テレビで、ビデオで、がっつり見ました。しかし、あれ、地上波だったのだなあ。信じられん。でも、最終巻は怖くて見れなかった。

 その後、怖いのも見ないと、初めてみたのが「マルホランド・ドライブ」、すごく前向きになった。謎だった。あんなひどい話なのに、ロスやハリウッドに行きたくなった。「ラ・ラ・ランド」でロスの夜景をみたとき、涙が出た。

 そうだ、「インランド・インパイア」映画館で見ました。女性賛歌として悪くないと思いました。ストーリーはさっぱりわからなかったけど。裕木奈江が出てたのかあとで知った。その後、彼のホームページを眺めたりしていた。英語がさっぱりなんで、珈琲は買えんかったけど。「ツイン・ピークス ratuin」もチェリーパイ作った。こういうとき、生き続けてよかったなあと思う。幅が広がったというか。楽しい。

 今回、「ロスト・ハイウェイ」と「マルホランド・ドライブ」を見た。まんなかにある「ストレイト・ストーリー」を見たので絶頂期の三部作見たことになるのかな。

ロスト・ハイウェイ」、なんで主役がビル・プルマンなんだと思った。下品なところがあるカイル・マクラクランだとわかるけど、珍しくハリウッドで私生活シッカリしてそうがにじみでてくる俳優さんなのに。

 最初は彼の和柄の部屋着いいなあ。おうち素敵だなあ、音楽かっこいいなあというところに目が行った。池袋文芸座の音響はすばらしいですな。しかし、あっという転換があって、なぜ彼が主役か、じわじわ、わかった。ロザンナ・アークエット、女優魂、炸裂ですな。前半はちょっと退屈だったけど、あの疾走感はたまらなかったです。

 どうしても大画面で見たくて、「マルホランド・ドライヴ」も。あんなに好きな映画なのにところどころ忘れてる。前半の怖くてロマンチックなところは覚えているけど、後半は純粋に見えたキーパーソンの監督が、あんなにやなやつだったのかという驚きと、劇場の場面ぐらいで、主人公のひどくすさんだ姿は覚えてなかった。まさに、記憶は改変される。つらくて、見てられなかったらしい。美しいロスの夜景がけっこうたっぷりとあるな。そして、女盛りの女優さんたちの美しさ。今回もすかっとした。なぜなんじゃろね。不幸、ひどい、てんこ盛りなのに。

 今回、これから、「エレフォント・マン」「デビット・リンチ アートライフ」も放映されるらしいです。後者は、本物の古くからのリンチと寄り添った方に見てほしい。彼が本来、現代アートの作家さんとして原点にもどっていること、そして、映画引退は本気かなと思われることがわかるドキュメンタリーです。さびしいけれど、時代は移っていく。

 

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