oohama5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと思っています

長崎の旅 三日目

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 三日目は軍艦島へ行った。映画とか影響だろうか、多くの観光船が行く、新しい観光地になっている。保護された場所なので乗船手続きやら、ちとややこしい。

 廃墟は初めてなので、どうかと思ったけど、淡々とした場所だった。テレビとかで、戦場跡とか、見すぎたからかもしれない。長い年月で風化された場所は必然となっている。

  ガイドさんの話の方でおぎなっての場所だと思う。話を聞いていると、開発者の三菱に対する複雑な感情もほのみえて、面白かった。気温40度、湿度90%のところに戦前は12時間、戦後は8時間の労働だったそうだ。島に多くの建物が建てられていたのは高度成長期、景気のいい時代に労働力を確保するためだったんじゃないかな。総ガラス張りの小学校の廃墟が異様に思った。戦前の日本で初めて建てられた近代アパートが六畳一間だったのいうのが、なんだかしょぼいくて、日本らしい。

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総ガラス張りの小学校跡と、神社の空中庭園のあと

 それでも、雨の多い長崎地方の海の荒れた日は、波が島のてっぺんまで上がって、船が途絶え、陰惨たる気分になる場所だったそうだ。優遇されて、おいしい食べ物、娯楽、高い給料が提供されたけれど、地元では無くなって、清々したという気分なんじゃないかな。明治大正の開発期の悲惨さは忘れられないだろうし。大きな隔離病棟のあとなんかもあった。「天空の城ラピュタ」のインスピレーションの元になった空中庭園も朽ちはててきている。行ってみてよかったか問われると微妙なところだ。真実は自然に侵食されて、遠くなっている。

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日本最古の鉄筋アパートのあと。波にさらわれた本部の建物跡から全容が見える。奥には繁華な街に下りる階段。

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うっすらと見えている階段の奥にこんな生活があったらしい。

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本部あと、地下の炭鉱に行くエレベーターに上る階段跡。ここを上るときが一番緊張したらしい。

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 日本最古のドックがある三菱の造船所。ここを海から見るのもこのツアーの売りだ。ちなみにイージス艦足柄が止まってました。

 午後は空港にもどった。雨が降り始めていた。そういえば、「長崎は今日も雨だった」って歌あったなあと思った。長崎のひとはいつも、雨のことを心配しているようだった。

 こんな風に旅は終わった。また行ってみたいとも思うけれど、こればかりは縁のもんなのだろうなあ。

 

 

 

長崎の旅 二日目

 大浦天主堂へ、色々な歴史的なことを知ってから、ここに戻ってきたのはうれしいことだった。しょぼしょぼと朝の雨が降っていた。二十六聖人の殉教の絵の下に、ここを開いたプチジャン神父の墓石がある。そして、明治の浦上の信徒発見をうながした聖母像。こちらではカトリック教徒の韓国やフィリピンの観光客が多く、なんとなく東洋の聖地巡礼の地になってるようだ。

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 坂本龍馬がいた亀山社中へ。龍馬関係者は好きだろうが、私は長崎の坂道のふぜいを楽しませてもらったと、記しておこう。そのわりには銅像をみに、その上の公園にいったりしたんですが。長崎の坂道良いですよ。花々が南国しててきれい、アジサイが多く、梅雨のころがいいと思う。

 

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龍馬像。司馬遼太郎も文学碑ももあります。

f:id:oohaman5656:20180430113000j:plain長崎の海から香港が見えるそうだ。

 午後にレンタカーを使って、外海の「遠藤周作記念館」へ行った。となりに道の駅があり、「夕陽が丘そとめ」という、夕日の名所らしい。単なる辺鄙な田舎だと思っていたけれど、途中、人家の多さに驚く。長崎新漁港という漁業の拠点になっていて、缶詰工場、かまぼこ工場がたくさんあった。海の道を通ると近いというのもあるのだなあ。

 

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 それもだけど、たくさんの教会があり、宣教師たちがこのあたりの開発に力をつくしたのがみてとれる。隠れキリシタンの里のひとつ、黒崎のダイナミックな風景が見えてくる。海辺の広い湿地が残されていて神秘的な風景だ。そこから、ドロ神父が教会をたて、小説「沈黙」の舞台になった出津の集落に行く峠に記念館がある。

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 教会を中心とした出津の風景

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遠藤周作記念館

 驚くほど美しい海。スコセッジの映画「沈黙」で台湾でロケされた景色が、ダイナミックすぎると思っていたが、開発がない江戸時代はあんな感じだったのだろうなあ。たぶん、遠藤がかよった60年代前半も。だからこそ、あの小説はこの場所にささげられたのだろう。記念館の展示によると、「沈黙」は結核療養中から十年ぐらい取材をして、書かれたらしい。試作的な小説やら資料の数々が展示されていた。生きるあかしを求めるつよい気持ちが残されていた。

 

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  夕日を求めて二時間ほど、そこの道の駅にいた。道の駅は地域の物産館の役割をしているようで地元の人が多かった。新鮮な魚や野菜もある。美しい場所だった。

車での帰り道の黒崎の集落に落ちる夕日。そして、外海のキリシタンは雲のむこうの五島に散っていったらしい。

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 帰りに量販店やパチンコ屋が多い猥雑な海岸をとおった。どうやら三菱の造船所の裏手らしい。トンネルを抜けて、その間10分ほどで、長崎駅のレンタカー屋さんに戻った。この山がさえぎって、無傷で戦艦武蔵が造船された日本最古の造船所が残たのだと実感できた。ここが目標だったのだろう。そんな、複雑で重層的な長崎の歴史を感じながら夕方からとっぷりとした夜が始まる時間を楽しんだ。続きます

長崎への旅

 

 作家の星野博美さんのキリシタンの苦境をえがいた「みんな彗星を見ていた」を読んでから、長崎を再訪してみたいと思っていた。大学の卒業旅行で、天草、平戸、長崎に行った。あの当時は、友だちにあつかましくも、おまかせで、その意味もわからず、天草の崎津の教会に行き、そこでぺらぺらのメダイを買った。なんとなく捨てられず、ずっと持っていた。平戸のザビエル教会に感心したりもした。今はつきあいのない友人が、何を考えていたかもっと突っ込んでみるべきだった。楽しかったけど、不思議な旅だった。

 まず、長崎空港へ、深夜、何気なくみた「久保みねヒャダこじらせナイト」のなかで佐世保出身の久保ミツロウさんが長崎ちゃんぽんを空港で食べていたのを思い出して、夫と食す。真面目で誠実な味。これはまず、名物を食べるという満足感に満たされて、ほんとよかった。その日のおやつに、長崎にしかない松翁軒の五三焼きカステーラを食べたが、これは友人の推薦で、夫によると、長崎の一番の思い出はこちらのカフェだそうだ。長崎弁の和やかな会話が聞こえ、路面電車の音が聞こえる、飾り気のない休日の空気がよかったようだ。こういった喜びも誰かしらのおかげでありますな。

 

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 まず、星野さんの本にある長崎駅裏の二十六聖人記念館に行った。その土地、西坂でおこなわれた、秀吉による初めての殺戮がどれほどのショックだったか。ほぼ、となりにイエズス会の長崎本部とその病院あとがあり、信長の記録で有名なルイス・フロイスが、直後に急死したとの記念館の記述があった。

 病院あとは、中国人むけの黄檗宗の寺で、原爆で被災、再建されていた。しかし、となりの黄檗宗の寺の山門は江戸時代のもので、このあたりが原爆の被害の境目なのが見えて、生々しかった。長崎と空港がある大村が近いのに驚いたけど、長崎が初のキリスタン大名、大村純忠の領地で宣教師たちに寄進され、開発された土地であることを知った。キリスト教と骨がらみの土地に原爆が落とされたのは皮肉だ。

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記念協会から、隠れキリシタンが発見された浦上の町がみえる

 

 殉教者がさらされた道をてくてく下って、長崎奉行所あとの長崎歴史文化博物館へ。青貝細工の企画展があり、その鮮やかさに驚く。名物を食べても思ったのは、長崎の名物は、すごくわかりやすい。肉にえび、おいしものをてんこ盛りしたちゃんぽん、卵とさとう、シンプルなカステラ、まじめに作ると誰でもわかる良さだ。長崎奉行所が内部に再建されていて、長崎の歴史が大体わかるように作られてて、穴場だと思う。

 すぐそばの小学校の地下、五年間の寿命だったサンドミンゴ教会跡へ。信者だった長崎の代官が寄進した土地らしい。ドミニコ派は最も貧しいひとによりそった。彼らがいちばん犠牲者をだしたそうだ。

 夜間開放されているとのことで、夕食後はグラバー邸に。いくつかの明治の居留地の住宅が集められた長崎観光の目玉だ。今の時期でラッキーだったなあ。建物からはグラバーの家庭への幻想がかんじられて、ちょっと、ぞくっとしたのは、夜だからなのだろうか。

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 バラのしつらえが立体的できれいだった。ものすごく贅沢に使っていて、こういう庭園はめずらしいのではないだろうか。

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グラバーの盟友だったリンガーの邸宅

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 二次大戦終戦間際、身寄りのなかった息子の未亡人がイギリスに強制送還されたらしい

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満月で大浦天主堂がくっきり見える。

信仰と資本主義、ロマンと欲望なんかを感じてしまった。

続きます

瀬戸内寂聴「奇縁曼荼羅」を読む

 佐藤愛子さんと瀬戸内寂聴さんの対談を読んで、はじめて、寂聴さんの本読んでみた。「奇縁曼荼羅」。横尾忠則さんの人物の挿絵が気になって、読みたいなと思っていたのだ。文壇の仲間を中心にいろいろな人との関わりを記したもの。全4巻あるが、彼女と男女の関係があった作家との話で終わる二巻までが、彼女と濃厚な縁があった人との話で、あとはちょこっと関わったひとの話だった。

 二巻の最後の順番は文学上の師匠、井上光晴、そして、誘惑しようと会いに行った島尾敏雄、そして、無名の作家だった不倫相手なんだから、恐れ入る。まだ、売れなかった寂聴さんが雑誌の仕事で行った奄美で、文学館かなんかの案内をしてる島尾にそっと寄りそって、元軍人のたくましい体の匂いをかぐなんて、リアルだなあ。作品を見て、ひっかけてやろうと思ってたんですね。今、あのひとの非常識が、ときどき、話題になるが、そういう人なんだと思う。草間彌生なんかと同じ枠ですね。かわいいともいえるけど、怖い人だと思う。

 作家になると業が増すのね。文学を志すとはどういうことか、どんなひとが名をなしたか。かつてあった、文壇というものがどういうものか、志すひとがいかに多くて、売れたひとは、その中の選りすぐりだったのかが見えて、興味深かった。同人誌で仲間を集め、切磋琢磨しているのって、今のまんが界みたいだ。そういった、文化の中心が小説だった時代の良き思い出ばなしともいえる。

 

奇縁まんだら 4巻セット

 挿し絵がいい。この肖像画たちにはげまされて書かれた評伝だとおもう。

それでもこの世は悪くなかった (文春新書)

こちらも、文学者の家に生まれ、戦争にもまれ、生き抜いたひとのすごさ。

 

 

高畑勲さんが亡くなったこと


じゃりン子チエ TV版OP/ED

 高畑勲さん亡くなりましたね。そうか、よく考えてみたら、「蛍の墓」以降、やだと思いながら、全作品、映画館で見てるのですね。ファンなのかな。最高傑作は、やはり、「蛍の墓」だと思います。けど、一番好きなのは「じゃりン子チエ」です。

 結婚したてのころ、土曜日に必ず行く、ドライブの途中にお好み焼き屋があって、その店から、チエちゃん役の中山千夏のテレビの主題歌が聞こえてきて、今週も終わったんだなと感じさせられました。そして、日常は続くんだなとあと。そのころ妊娠と流産を繰り返してました。

 原作はドタバタなんですけど、底に暗い情念があって、それが映画では、ラストのチエちゃんたち一家の仲直りの観覧車の場面でぱっと広がるんですね。客観的にみえてしまう。親の前では、ことさら幼さをよそおう子供、そして、幼稚だけど、性的な魅力のある男、そして、その男にひきづられている女。中山千夏は子役で一家を養ってきたひとだし、てつ役の西川のりおは、北野武の奥さんの恋人だったひとですからね。もててたと思うよ。最後はあかん男のてつの元へよしえさんはかえって、日常は続いていくというもやんとした終わり方です。そういった意味では、映画として良くても、日常を描いたテレビシリーズのほうが気楽でした。

 「ホーホケキョ となりの山田くん」は、ご近所に住んでいた、いしいひさいちの原作でした。デビュー作「バイトくん」の表紙のひとつが、父が行ってた好楽というパチンコやさんで、父に原作教えてもらいました。友達がアテネフランセに通っていて、彼のおじさんと知り合いになってたりしてね。誘われていったベルイマンの「処女の泉」の上演会にこられてました。そんなかんなで、やはり見に行きました。平凡な人たちの平凡な日常への愛って、生真面目にやられるとつらい。そのころから、高畑勲は、ますます見づらい映画を作るようになったかな。

「おもいでぽろぽろ」では農村の人たちのエゴを、「ぽんぽこ」では熱いニュータウン批判、痛いなあ。最終作の「かぐや姫の物語」では文明そのものを。亡くなられてから、これも最近亡くなられた雨宮まみさんのすぐれた批評がSNSに出回ってきてましたが、当時は読んでて避けてました。そうなんですね、美人とか、すぐれた人って、人としてさえ扱われなくなるっていう言葉は重いですね。でも、優劣で争って、特別というかせを利用して生き抜くというのが文明なんですね。最後にプロデュースした「レッドタートル」にいたっては、カメと結婚した主人公の息子は亀になって海に帰っていくという、人間つまらんという結論ですもん。これから、去っていく高畑勲はいいけど、俗にまみれた私たちはどうしたらいいでしょうか。そんな宿題を残して、彼は去っていったなあ。お世話になりました。お疲れ様です。

 

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日々を エッセイストの中野翠さんのこととか。

TOKYO海月通信

 久しぶりのブログです。とにかく、今年は寒かったので更新なまけてました。でも、改めて、書いてみたいと思ったのは、twitterでフォローしてる人が読んだということで、中野翠さんのサンデー毎日の2017年までの連載をまとめた「海月通信」を読んだからです。ここのところ彼女の エッセイ読んでなかったのですが、やっぱり好きだなって感じました。

 映画「シェイプ・オブ・ウォーター」を見て悪役のマイケル・シャノンに感じ入ったのですが、注目していた、「ドリーム 99%を操る男たち」の悪役も彼だと知りました。これは家を取りあげられたアメリカのプアホワイトが悪徳不動産の手先になるという内容で面白そうと思っていたのですが、ぜひ見たいなと思いました。トランプを支持していた人は、どんな人たちかを、がっつり描いたもののようです。アメリカでも発言力が低いけれど、多数派、そして、マスコミなんかに馬鹿にされている人々はどうなのかの告発したものらしいです。さすが、このころからマイケル・シャノンに注目するとはさすが、中野さん流にいうとお目がたかい。

映画関係でいえば、私が避けてるキム・キドクが、すでに2016年の映画で北朝鮮の漁民についての映画を撮っていることを知り、改めて今を切り取るひとなのだと思いました。韓国の現実と混とんを象徴する作家さんなんだな。

 

メル・ギブソンの「ハクソ―・リッジ」にも言及していて、ともかく、人格やエゴよりも、観察者として筋金なんだと改めて感じました。時事だと、あべさんのことも落語的に表現してて、ちっちぇいおとこなんだよね、とかあるしね。物事のとらえ方が遠景でユーモアになってるのがほっとさせてくれるんだなあ。清少納言からの多分、日本の伝統、お調子者を装っての辛辣さがここちよいです。

 山田太一さんのドラマで「早春スケッチブック」が一番好きというのもうれしかった。 特別なドラマだと思ってたので。自伝的な文章でよんだ、山田太一寺山修司との色っぽい友情関係が にじみ出ている話だと思うし。そういえば、春日太一さんの岩下志麻へのインタビューをまとめた「美しく狂おしく」で、夫婦役の河原崎長一郎岩下志麻はいとこ同士であることを初めて知りました。あの親密な夫婦関係は、そこからかもされていたのだな。結婚して子供を持ちながら、どう働いていくかを切り開いた一女性の体験記としての話まで聞き出してるのがいい。岩下志麻は、「鬼龍院花子の生涯」の五社英雄に惚れられていたようですけど、なぜ、篠田正弘を夫に選んだか、それがわかるのも面白い。篠田との仕事についても、初めて詳しく知り、その業績もきちんととらえていて、彼の映画も見たいなと思いました。

 彼女の文章がヒントになって、知的な好奇心を肯定できます。元々、親がサンデー毎日の受験の記事を熱心に読んでて、その毒消しと感じて、連載されてたエッセイの読者となりました。人生は競争だけ、人に認められることだけにこだわるのはつまんないって励まされたかな。

 こうやって、つらつら書いてみると、文章をなぜ書きたかったかの原点のひとつにもどれたような気がします。

 

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小田原城、夜桜見てきました。おすそわけ

 

 

 

 

 

 

 

大阪の背骨を歩く 3

 寺町を四天王寺に向かいます。小春日和で、歩いていると暑いぐらいです。一人のおばさんが迷っているのに、気がつきました。話を聞いて見ると、太陽のほとけさま、大日如来のある寺を探しているとのこと。寺の名前はと聞くとわからない、二ヶ月前、テレビで見たとのこと。しばらく、一緒に探したんですが、どうにもならない。

 生魂神社境内から痩せた大型犬を散歩させている、茶髪のおじさんががやってきたので、パスしたんですが、避けられてしまっている。どうにも、力不足でした。なんか、もやもや。

 どんつきの夕陽ヶ丘高校前に行くと、今度は、釜ヶ崎のおっちゃんらしい人たちが、お寺の周りを掃除しています。なごやかに世間話をしながら、休憩したました。いいお天気だし、綺麗な市役所の作業着を着てるし。前も平日の10寺ごろ、四天王寺に行ったとき、夕陽ヶ丘の高級マンションあたり、妙に身なりのいい人たちが廃品回収していたんですが。市が抽選で、おっちゃん達に、そういう仕事を回していることを知りました。人気があるので、何ヶ月かにいっぺんと決まっているようですね。

 地下鉄、夕陽が丘駅前に出て、四天王寺に行きます。ちかくの愛染坂上に百人一首歌人藤原家隆の塚があります。出家した彼が、

「ちぎりあれば難波の里にやどり来て波の入日をおがみつるかも」

と、うたった場所です。そばに、今も夕日が見えるらしい大江神社、口縄坂もありますが、今回はくたびれていたので、パスしました。

四天王寺へ。

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 境内に新しい休憩所ができていました。ガラスが全面にはいっていて、暖房もきいています。テーブルでベビーカーの子供づれのお母さんたちが、お弁当をひろげていました。ちょっとした軽食、おみやげも売っています。そこで、天王寺蕪のつけものを買いました。

 地野菜のかぶら、食べて見たかったですと、話しかけると、二月に、かぶらをふるまうからどう、とのこと。フレンドリーです。境内でお坊さんが説教をしてたりで、お寺として、生きている。この前、行ったとき、重い障害のある車椅子のひとといっしょに連れ立つことになったりして、色々と不思議な人も来る界隈ですが、お母さんたちも安心なのでしょう。

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夕日を拝むようにつくられた西門です。門をすぐ出ると親鸞が布教をしたお堂があります。

 

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 ここは浄土真宗の管轄らしいです。鳥居のすぐ先は切り立った崖になっています。かつては海が見えたそうです。そこを降りると一心寺です。通天閣が見えてきました。

 

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 前回、人ごみにひかれて、一心寺に迷い込んだとき、ここの信仰が遺骨を集めてつくるほとけさまだとしって、びっくりしました。無縁仏の供養にも熱心なようでした。

 反対の歩道を歩いて行くと、真田幸村の終焉の地という、安居天満宮の看板がありました。ほぼ、お寺の真向かいです。そして、茶臼山の徳川本陣がすぐそばであることに気がつきました。歩いて10分もかからない。当時、その辺りが森としても、すごく近いです。この辺りは、大坂夏の陣の激戦地でもあったのか。死体が累々としていたのだなあ。

 そこを五分ほど下ると、能や三島由紀夫の戯曲で有名な、弱法師の舞台、合邦の辻です。中世、崖下で貧しい人々、病める人々が群がっていた場所です。インドのバラナシのようなところだったんでしょうか。崖下の中心は、人が住めない天王寺動物園になっていました。その奥に、通天閣を中心に、明治時代の歓楽地、新世界が放射状にひろがっています。

 徳川家康の旗印「厭離穢土 欣求浄土」の意味が、体に入ってきました。これは、家康の菩提寺の浄土宗のひとが、励ましに与えたそうです。浄土系の宗派の開祖、源信の「往生要集」のことばらしい。浄土系は、キリスト教プロテスタントに当たるかなっと、私は感じています。新らしい村組織、新らしい産業をになった人々の宗派です。

 戦国時代、荒れ果てていた一心寺は、親鸞の師、法然が人民救済のために建てた寺です。わざわざ、頼んで境内の山を本陣に借りました。だからか、大坂夏の陣のあとすぐ、その門を移築して、家康の寄進で再興されたようです。政治的な意図で、ここだったのですね。

 参謀の本多正信をはじめ、徳川家臣は、平等を尊ぶ、浄土宗系の信者が多い。彼らは、家康を中心に、中世的な貧しさ、戦乱のたねを葬り去るという無意識を抱いていたのだなっと思いました。

 そして、大坂夏の陣は、時代に取り残されたさまざまの立場のひとびとが、葬り去られた戦いだったのだなと、切なく感じられました。幸村は、どこに行くつもりだったでしょう。茶臼山の本陣か、それとも。大阪夏の陣に参加していた、キリシタンの武士、森宗意軒は高野山にのがれ、のちに島原の乱の中心人物になっているそうです。

 茶臼山天王寺美術館から入れますので、行ったことがあります。古墳のあとです。古代からの聖地でもあるのですね。その脇を通って、一心寺わきから、天王寺駅に出ました。歩いて20分ぐらいかな。歴史と貧富が、重層的に重なっていて、ものすごく、濃いところです。でも、なんか、心ゆらいで心地よかったです。

 

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