oohama5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと思っています

日々を エッセイストの中野翠さんのこととか。

TOKYO海月通信

 久しぶりのブログです。とにかく、今年は寒かったので更新なまけてました。でも、改めて、書いてみたいと思ったのは、twitterでフォローしてる人が読んだということで、中野翠さんのサンデー毎日の2017年までの連載をまとめた「海月通信」を読んだからです。ここのところ彼女の エッセイ読んでなかったのですが、やっぱり好きだなって感じました。

 映画「シェイプ・オブ・ウォーター」を見て悪役のマイケル・シャノンに感じ入ったのですが、注目していた、「ドリーム 99%を操る男たち」の悪役も彼だと知りました。これは家を取りあげられたアメリカのプアホワイトが悪徳不動産の手先になるという内容で面白そうと思っていたのですが、ぜひ見たいなと思いました。トランプを支持していた人は、どんな人たちかを、がっつり描いたもののようです。アメリカでも発言力が低いけれど、多数派、そして、マスコミなんかに馬鹿にされている人々はどうなのかの告発したものらしいです。さすが、このころからマイケル・シャノンに注目するとはさすが、中野さん流にいうとお目がたかい。

映画関係でいえば、私が避けてるキム・キドクが、すでに2016年の映画で北朝鮮の漁民についての映画を撮っていることを知り、改めて今を切り取るひとなのだと思いました。韓国の現実と混とんを象徴する作家さんなんだな。

 

メル・ギブソンの「ハクソ―・リッジ」にも言及していて、ともかく、人格やエゴよりも、観察者として筋金なんだと改めて感じました。時事だと、あべさんのことも落語的に表現してて、ちっちぇいおとこなんだよね、とかあるしね。物事のとらえ方が遠景でユーモアになってるのがほっとさせてくれるんだなあ。清少納言からの多分、日本の伝統、お調子者を装っての辛辣さがここちよいです。

 山田太一さんのドラマで「早春スケッチブック」が一番好きというのもうれしかった。 特別なドラマだと思ってたので。自伝的な文章でよんだ、山田太一寺山修司との色っぽい友情関係が にじみ出ている話だと思うし。そういえば、春日太一さんの岩下志麻へのインタビューをまとめた「美しく狂おしく」で、夫婦役の河原崎長一郎岩下志麻はいとこ同士であることを初めて知りました。あの親密な夫婦関係は、そこからかもされていたのだな。結婚して子供を持ちながら、どう働いていくかを切り開いた一女性の体験記としての話まで聞き出してるのがいい。岩下志麻は、「鬼龍院花子の生涯」の五社英雄に惚れられていたようですけど、なぜ、篠田正弘を夫に選んだか、それがわかるのも面白い。篠田との仕事についても、初めて詳しく知り、その業績もきちんととらえていて、彼の映画も見たいなと思いました。

 彼女の文章がヒントになって、知的な好奇心を肯定できます。元々、親がサンデー毎日の受験の記事を熱心に読んでて、その毒消しと感じて、連載されてたエッセイの読者となりました。人生は競争だけ、人に認められることだけにこだわるのはつまんないって励まされたかな。

 こうやって、つらつら書いてみると、文章をなぜ書きたかったかの原点のひとつにもどれたような気がします。

 

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小田原城、夜桜見てきました。おすそわけ

 

 

 

 

 

 

 

大阪の背骨を歩く 3

 寺町を四天王寺に向かいます。小春日和で、歩いていると暑いぐらいです。一人のおばさんが迷っているのに、気がつきました。話を聞いて見ると、太陽のほとけさま、大日如来のある寺を探しているとのこと。寺の名前はと聞くとわからない、二ヶ月前、テレビで見たとのこと。しばらく、一緒に探したんですが、どうにもならない。

 生魂神社境内から痩せた大型犬を散歩させている、茶髪のおじさんががやってきたので、パスしたんですが、避けられてしまっている。どうにも、力不足でした。なんか、もやもや。

 どんつきの夕陽ヶ丘高校前に行くと、今度は、釜ヶ崎のおっちゃんらしい人たちが、お寺の周りを掃除しています。なごやかに世間話をしながら、休憩したました。いいお天気だし、綺麗な市役所の作業着を着てるし。前も平日の10寺ごろ、四天王寺に行ったとき、夕陽ヶ丘の高級マンションあたり、妙に身なりのいい人たちが廃品回収していたんですが。市が抽選で、おっちゃん達に、そういう仕事を回していることを知りました。人気があるので、何ヶ月かにいっぺんと決まっているようですね。

 地下鉄、夕陽が丘駅前に出て、四天王寺に行きます。ちかくの愛染坂上に百人一首歌人藤原家隆の塚があります。出家した彼が、

「ちぎりあれば難波の里にやどり来て波の入日をおがみつるかも」

と、うたった場所です。そばに、今も夕日が見えるらしい大江神社、口縄坂もありますが、今回はくたびれていたので、パスしました。

四天王寺へ。

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 境内に新しい休憩所ができていました。ガラスが全面にはいっていて、暖房もきいています。テーブルでベビーカーの子供づれのお母さんたちが、お弁当をひろげていました。ちょっとした軽食、おみやげも売っています。そこで、天王寺蕪のつけものを買いました。

 地野菜のかぶら、食べて見たかったですと、話しかけると、二月に、かぶらをふるまうからどう、とのこと。フレンドリーです。境内でお坊さんが説教をしてたりで、お寺として、生きている。この前、行ったとき、重い障害のある車椅子のひとといっしょに連れ立つことになったりして、色々と不思議な人も来る界隈ですが、お母さんたちも安心なのでしょう。

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夕日を拝むようにつくられた西門です。門をすぐ出ると親鸞が布教をしたお堂があります。

 

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 ここは浄土真宗の管轄らしいです。鳥居のすぐ先は切り立った崖になっています。かつては海が見えたそうです。そこを降りると一心寺です。通天閣が見えてきました。

 

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 前回、人ごみにひかれて、一心寺に迷い込んだとき、ここの信仰が遺骨を集めてつくるほとけさまだとしって、びっくりしました。無縁仏の供養にも熱心なようでした。

 反対の歩道を歩いて行くと、真田幸村の終焉の地という、安居天満宮の看板がありました。ほぼ、お寺の真向かいです。そして、茶臼山の徳川本陣がすぐそばであることに気がつきました。歩いて10分もかからない。当時、その辺りが森としても、すごく近いです。この辺りは、大坂夏の陣の激戦地でもあったのか。死体が累々としていたのだなあ。

 そこを五分ほど下ると、能や三島由紀夫の戯曲で有名な、弱法師の舞台、合邦の辻です。中世、崖下で貧しい人々、病める人々が群がっていた場所です。インドのバラナシのようなところだったんでしょうか。崖下の中心は、人が住めない天王寺動物園になっていました。その奥に、通天閣を中心に、明治時代の歓楽地、新世界が放射状にひろがっています。

 徳川家康の旗印「厭離穢土 欣求浄土」の意味が、体に入ってきました。これは、家康の菩提寺の浄土宗のひとが、励ましに与えたそうです。浄土系の宗派の開祖、源信の「往生要集」のことばらしい。浄土系は、キリスト教プロテスタントに当たるかなっと、私は感じています。新らしい村組織、新らしい産業をになった人々の宗派です。

 戦国時代、荒れ果てていた一心寺は、親鸞の師、法然が人民救済のために建てた寺です。わざわざ、頼んで境内の山を本陣に借りました。だからか、大坂夏の陣のあとすぐ、その門を移築して、家康の寄進で再興されたようです。政治的な意図で、ここだったのですね。

 参謀の本多正信をはじめ、徳川家臣は、平等を尊ぶ、浄土宗系の信者が多い。彼らは、家康を中心に、中世的な貧しさ、戦乱のたねを葬り去るという無意識を抱いていたのだなっと思いました。

 そして、大坂夏の陣は、時代に取り残されたさまざまの立場のひとびとが、葬り去られた戦いだったのだなと、切なく感じられました。幸村は、どこに行くつもりだったでしょう。茶臼山の本陣か、それとも。大阪夏の陣に参加していた、キリシタンの武士、森宗意軒は高野山にのがれ、のちに島原の乱の中心人物になっているそうです。

 茶臼山天王寺美術館から入れますので、行ったことがあります。古墳のあとです。古代からの聖地でもあるのですね。その脇を通って、一心寺わきから、天王寺駅に出ました。歩いて20分ぐらいかな。歴史と貧富が、重層的に重なっていて、ものすごく、濃いところです。でも、なんか、心ゆらいで心地よかったです。

 

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大阪の背骨を歩く 2

 

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 青空を目指して、ずんずん上町通りを行きます。道幅が広いのに人通りが少ない。お寺も多いのですが、大阪はいかんのやなっと、しみじみ。そんな通り沿い、井原西鶴のお墓がありました。ゼミで「好色五人女」を勉強して、感銘を受けたことを思い出しました。お寺に近づいてみると、人気はないけれど、墓地の門が解放されていて、あっけらかんと清潔に掃き清められています。いいかなと思って、お参りしてみることにしました。

 

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 しっかりと、お参りしてきました。確かに、生きてたんだと思うと生々しい。墓石はちょっとと思ったので、かたわらにあった歌碑を写しておきました。

 

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 元々は俳句の前身の連歌師として、有名だったそうです。

そこから、上本町駅近鉄百貨店が、すぐ、そばでした。かつて、四天王寺に行ったとき、こうの文代さんの個展を発見したところです。すごく、寂れていて、ショックでした。

 こうのさんの扱い、こんなもんなんだって、辛かった。でも、ここだから、頑張って開催したんだと思い直しました。大阪大空襲前は、かなりの繁華街だったのではないかな。駅のカフェでお昼を食べました。その向かいに細い道があって、これが参道なのではと思うと、はたして、その奥に生魂神社はありました。

 

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 生魂神社はなんと、伊勢神宮よりも古いところだそうです。清らかに掃き清められています。

 

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 社殿に有栖川有栖の「幻坂」のポスターがありました。去年、読んで、感心した、 天王寺の七つの坂をめぐる怪奇談の短編集です。彼は、すぐそばの大阪星光学院で青春をすごしたらしい。どうやら、「大阪ほんま本大賞」とやらに今年選ばれたそうで、梅田の本屋さんに、たくさん積んでありました。観光ポスターも。

 

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 モチーフの一つにこの辺りに住んでいた織田作之助の「木の都」という短編がなっていて、はじめて、彼の短編集を読みました。とても、繊細でみずみずしく、モダンで、驚きました。夫婦善哉も美しいですが、戦争の影をふかしげに描いた、この作品も傑作です。彼の像も神社にありました。

 

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 永遠の文学青年という風情ですね。近くに西鶴像もありました。彼もこのかいわいにゆかりが深い人です。

 

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 奥に行くと、泉があり、有名な神社の社が、たくさんありました。源九郎稲荷、浄瑠璃神社、そして、鴫野神社。ここは江戸時代、初めて落語が語られた場所で、記念碑もありました。

 どこか既視感がある。神社の裏口が崖になっていて、かつて、若い時、迷い込んだことを思い出しました。ラブホ街になっていて、午後の曇り空のなか、とてつもなく、恐ろしく感じました。ここが落語の発祥地かと思い出しながら、怖くて境内に入れなかったことを。改めて、真言坂から、表門の方に回ると神社の森が紅葉で綺麗でした。遠くにラブホの惑星が見えます。

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天王寺七坂のひとつ、源聖寺坂、下ると人形でゆうめいな松屋町筋です。

そして、中寺町、真言坂から見えたラブホの反対側が見えます。

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尾根道沿いに四天王寺に向かいます。続きます。

 

 

 

大阪の背骨を歩く

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 すごい青空でした。ツインピークスのチェリーパイがあると聞いて、天満橋あたりに行ったのですが。無くって、クランベリーパイを食べてきました。違うけど、それなりに、美味しかったです。初めての味。

 ぼんやりと大通りを歩いていると生魂神社の神輿の御旅所がありました。神輿がこの辺りまで来るんだと、では、歩けないことはないなあと感じました。それで、晴天の日、内田樹釈徹宗の本、「聖地巡礼」を参考に、天満天神社、難波宮、生魂神社、四天王寺まで、上町台地を歩いて見ました。10キロほどなんですが、まるで、尻尾から、頭までの恐竜の背骨を歩いている気分になりました。

 

 私は、お宮参りも七五三も天神さんだったので、結構、行ってたのですが、改めて、本を読んで、池があることを初めて知りました。何事も先達はってことか。星を写す儀式が行われていたところで、昔はもっと広かったようです。

 

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そばにあるのは、落語の碑でした。調べてみると、今回、吉本の発祥地は天満だと、初めて知りました。

天満は寄席がたくさんあってお笑いのメッカだったのですね。

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 すぐそばに、淀川の支流が流れていて、湿っぽいところだなあと思っていました。今まで、天満橋を渡ったことはなかったですが、橋を渡って土佐堀に出ます。地下鉄では行ったことがあるのですが、天神さんがすぐ近くとはわかってなかったです。そばに朝ドラ「あさが来た」で有名になった大同生命のビルがありました。江坂のハンズそばに空中庭園があるビルがあり、なんとなく知ってましたが、あんなドラマがあったとは

 

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そこから、坂を登ります。これが、上町台地への入り口です。尾根沿いを歩いていくと 

大阪城が見えてきます。大手門の向かいが大阪府庁です。お城のそばにあるからか、とてつもなく大きく感じます。確かに、ここの知事になると歴史的な風景をバックに気が大きくなるなあ。この辺り、歩いたのは初めてです。淀川の川向こうに住んでいた私がいかに大阪を知らなかったを実感しました。

 

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道を隔てて、そのならびに古代の倉庫が再現されています。どうやら、この辺りは穀物の倉庫が立ち並んでいたようです。また、坂道が上がっていきます。

 

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向こう見える森が難波宮の跡です。天智天皇の叔父が都を営んでいたところです。彼に殺された有間皇子のお父さんです。

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都会にあいたぽっかりとした空間。孝徳天皇の時代だけでなく、もっと古い宮殿の後もあって、大阪城のあたりは石山本願寺もあり、聖地であり、権力の中心であることが実感されました。坂を登り、尾根道をてくてく歩いていきます。暖かで、空を感じる日でした。続きます。

日常と非日常と「ツインピークスThe Return」

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 最近、有料テレビwowwowでデビット・リンチの「 ツインピークスThe Return」にはまっている。私が、前シリーズを見てたのは、ドーナツとコーヒーが出てくることからだった。あの甘さに、記憶のスイッチがはいる。多くのアメリカ人もそうかなあ。私は、アメリカ由来の野球や映画が盛んだった、みなと町の神戸の文化圏にルーツがあって、周りのひとが好きだったからだけど、深く、アメリカに骨絡みになっているのだなあと、おどろいている。

 大衆的な無声映画の連続ものの気楽な伝統のストーリーと、彼の記憶のスイッチの妄想と現実がまぜこぜになった独特の世界が、このドラマの楽しさだ。だからこそ、週一で見るのが王道だと思う。

 なんというのかな、放映されるギリギリまで、見てるひとの反応を確かめながら、修正されているのがいい。そして、今が、ものがたりに反映されているのが、たまらないのです。これは、小説とか漫画なんかもいえるけど、今の問題、今のなやみ、今のよろこびを共有されるからこそ、新作は楽しみなんである。そのときが終わってしまうと、その空気は奪われる。そして、古典として、案外、残るのは、そのときの景色を正確に記録したもんなんだろうなと思う。 もちろん、「ツインピークス」は、普遍的な人間のありさまがえがかれているので、今でなくとも、ずっと見れると思う。

 新作の25年後の「ツインピークスThe Return」は、最初、私にとって、でてくる俳優さんが年老いてしまったのもあって、花がなく、ものがたりも複雑になりすぎて、いまいち、乗れなかった。でも、第8回の、1945年にあった、ニューメキシコ州の核実験がでてきたあたりから、ぐっと、ものがたりに入り込めた。人間の悪の結晶である核から、異世界への幻想、そして、異世界にとばされて、悪と善に分裂した主人公のクーパーの行く末が気になってしかたがなくなってしまった。

 回が進むにつれて、悪のクーパーをはじめ、人々のドロドロの残酷な悪行、そして怪物のいる幻想が進んでくる。しかし、そのなか、ほっとするような日常や美しい善意が行われていく。

 特に印象的なのは、異世界から現れた、子供のようなクーパーが、周りの人々をしあわせにしていくエピソードだ。そのチェリーパイがからむ話は、私の中の甘酸っぱい味覚への思い出とともに、私を温めてくれた。この前、銃の乱射事件があったラスベガスが舞台だ。あの虚構でつくられたところでも、しあわせに、そして、モラルを持って生きている人々が、きっといる。そう信じさせてくれた。最新回、15回で、クーパーが生身のひととして復活する。見ていると、あまりに、特別なしあわせが行われるので、いつか、この町を去るのだという予感がした。彼のセリフでは、何事かがなされたあと、異世界に戻るのかもしれない。最終回が楽しみだ。

 この物語は、人間に含まれる、多様な要素がそのまま素直に映像化されているように思う。残酷な、汚らしい描写があるけれど、美しいところも示されて、どこか、生きることの愛を感じるのだ。私のように、このドラマの前作に慰められて、見たいと思うひとは、そう多くはないかもしれない。ドラマに関わった多くのひとが亡くなった。不思議な丸太おばさん、そして、大スター、デビット・ボウイ。年月が過ぎたのだなあと痛切に思う。

 でも、かつてのアイドル女優さんだった裕木奈江の堂々の出演もあり、実力のある若手俳優もたくさん出ている。そして、私は、ZZtopぐらいしかわからないが、アメリカの良質な音楽家のライブが毎回聞けるし、アメリカの美味しい食べ物や自然もたくさん出てくる。なにかしら、必要だと感じるひとは、放映が終わったら、すぐ、DVDでも出ると思うので、見て欲しいと思う。

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「自虐の詩」幸せとか不幸せとか

 この前、映画になった「自虐の詩」を久しぶりに見て、原作を改めて読み直してみた。ヒロインの中谷美紀のベストの演技もあり、堤幸彦の映画としても、良い方なんだと思う。なによりも、東日本大震災直後に見たとき、ヒロインの故郷の風景として、津波が舐めていった海岸線の電車がうつされていて、たまらない気持ちになった。今回、少女のときのふるさとが気仙沼なのに、旅したので気がついたのだ。岬の神社とかが舞台になっている。無くなっている建物も多い。たしかに、この映画が、記録として残っていくだろうと、原作のふしぎな力を感じたりした。

 そして、物語のキモをにぎる人物を女子プロレスラーアジャ・コングが演じてるのもいいのだな。貧乏で苦労したけど、真っ当にどっしり生きてる。こんなに説得力のある配役はない。

 さて、業田良家の「自虐の詩」は最初、ちゃぶ台返しという、かつてのホームドラマのお約束をギャグにして始まる。向田邦子寺内貫太郎一家のような大家族ならともかく、ヤクザっぽいヒモ男が、ブスな女にあたったところで、カタルシスはなく、寒いばかりなんである。ちゃぶ台っていうのは、もう、狭い家にしかないから、貧乏の象徴みたいなもんでもあるからいいのか。

 しかし、漫画は、このどうしようもない男女が、どういう人たちなのか、四コマでさかのぼっていくうち、ささやかだけど、ドラマチックな女の物語が展開されていく。そうして、この世に生まれたことを肯定していく。その過程で、女が、しっかりと、大地を踏みしめていくようになるのは、涙が出てくるような嬉しさだ。そうでなく、ダメになって死んでいく人も多いのに。

 下巻に「おぼっちゃまくん」の小林よしのりの解説があるけど、これもいいのよ。「なんじの隣人を愛せ」ということばが浮かんだ。どうしようもない人にも、幸せな瞬間があり、どうしようもない残酷な運命がある。こんど、NHK業田良家の「男の操」を浜野謙太でドラマ化するらしけど、どうにも救いようがない人にも、これだけのドラマがある、そして幸せになるチャンスがあるっていう想像力は、決して色あせてはいけなんだとういうことを、私に彼のまんがは教えてくれるんだな。

 

 

自虐の詩 (上) (竹書房文庫ギャグ・ザ・ベスト)

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「カラフル」原恵一の世界を読み解く2

 さて、「カラフル」は、「風に舞い上がるビニールシート」で直木賞を取った森絵都の児童小説だ。大型書店で、偶然、平積みで置かれていたので、予習した。

 中学生の自殺を真正面から描いて話題になった原作と、アニメのちがいは、母親の不倫のあつかいだ。原作では、夫にほっとかされ、自分の平凡さに耐え切れず、いろんな習い事を渡り歩き、ついに、フラメンコ講師と浮気する。退屈しのぎということだ。こどもには残酷だ。しかし、彼女をふくめた人のいいかげんさが、自殺の原因なので、この原作はリアルなのだ。

 出版直後の森田芳光の実写版では、あっけらかんということで、エッセイストの阿川佐和子が演じていたらしい。原作の父性の影もあったんだと思う。ちなみに、主人公の少年を演じたのは「KAT-TUNE」の田中聖だった。彼も絵が好きだったね。

 アニメでは、嫁という機能でしか認めなかった、介護した亡くなった夫の母との葛藤が原因であると、夫によって語られる。どうなのかな。漠然とした方がリアルだな。個人としての主体を持ちたいという、彼女の切なさはわかりやすくなった。

  アニメは、この母のエゴと息子の葛藤がたべものという形であらわされているのは、うまいなッと思った。対談によると、特にたべものと食事のシーンを大切に、手間をかけて、アニメ化したらしい。たべものを与える、受け取るということは、信頼があってのことで、世界への信頼をなくすと、人は簡単に拒食や過食に陥ってしまう。そして、食卓を囲むことで、その共同体のメンツの気持ちがあらわになってしまう。

 そういった描写をへて、映画では、原作にはない、食卓のシーンに山場が持っていかれる。木下恵介制作のドラマの山田太一脚本を再現したらしい。そういえば、かつてのホームドラマ、食卓のシーンが多かったです。

 ここで持ち出されている家族の提案は、一見、彼を救うように見えるけれど、相変わらず、彼を特別あつかいすることで、家族を固定化しようとする。でも、彼が本音をはき、突破できたのは、初めてできた親友、他者の介入だ。

 彼との関わりは、アニメでは、かなり丁寧に描かれる。それは、過去にあった、近所の路面電車の跡を探検するというかたちだ。たぶん、世界が過去と現在で重層的なことをさぐる冒険ということなんだと思う。原作にもある、「ごめんそうろう」の店の画面も、これから彼が出会うであろう、多くのひと、出来事の象徴でごたごたしている。ともだちとのエピソードの重視は、原作よりも、主人公のこれからが大切にされている。

 信頼をとりもどしたこのシーンを見終わって感じるのは、この食卓は、これから、子供たちが去っていくだろうとの予感だ。家族の形が変わっていく。そして、映画は親友との交流で終わっていく。

 このあたりは、原恵一は、ずっと、親子のことを描き、こどもの立場で描いてきたひとなんだろうなっと思う。今回のことで、監督の初期の代表作「エスパー魔美」、あれは画家であるお父さんのヌードモデルである中学生、魔美が、大人っぽい高畑さんというボーイフレンドに気持ちをうつしていくという話であったなあと思い出した。本作の大人目線な親友って、彼に似ている。

 藤子不二雄Fの漫画には、「しずかちゃんの入浴」といった、子供っぽい残酷なエロがある。そのなかで「エスパー魔美」は、親にとっての特別な存在で、境界線があいまいな関係が変わっていく、それをどう受け入れるかを描いた、パーソナルな異色作だと思っている。魔美は、なぜ、エスパーになったのか、考えてみる必要があるかも。 そんな扱いにくい原作を、高畑さんを強調して、世の中の複雑さをかいまみながら、魔美の日常的な変化をえがくことで、社会化していく、それがあのアニメの面白さだったんだと思う。

 最新作の「百日紅」でも偉大すぎる父、北斎に寄り添う、おえいの精神的な自立が描かれている。おえいのしごとは、ここ30年ほどのあいだに発見された。私が、はじめて、おえいのことを知ったのは、戦前に書かれた「江戸から東京へ」という東京の地誌的な本だった。そのころは、北斎を支えた娘という紹介で、画業については知られていなかった。土俗的な尻尾をまとった家族から、女性の個人をすくいとるのは、最近のことなんだと思う。

 生身の人間である親のことを、こどもは、どうとらえていくか。親はそのことをどう扱っていくか。原恵一監督は「クレヨンしんちゃん」を含めて、ずっと追求しているように思う。次回作が、もうすぐだそうだけど、それはどうなるのかな。もっと違う世界に飛ぶのかな。興味ぶかい。

 町山さんの監督の映像体験へのインタビューを聞きながら、家族の変化の意味、戦前の松竹映画からの家族をえがく流れってなんだろうと、考えさせられた、ひとときでありました。それに私は、なぜこだわっているのかも。

 そういえば、木下監督の最後の作品、「香華」は好色で身勝手な母を嫌う娘の話だったなあとか、女性の主体性と子どもとの関係って、けっこう、今日的なテーマだなあと思ったりした。

  

 

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