oohama5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと思っています

ブログで1年前書いたものを読み直してみる

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 はてなブログさんから、ときどき、以前のブログを示したメールが送られているのだけど、読み返すのに、いいきっかけになってます。私のブログは、日記みたいなもので、何より、私が読者なんですね。日記なら公開することないけど、誰かにどこかで、共感してほしいって、欲がある。露出狂かって、ときどき、大げさに思うのですが。子供のころから、ひとの言ってることで、どうもちがうの感じることに、黙っていたので、どっか、解消したいのかもしれません。

 で、送られてきたブログを、今どう感じているかの感想。

 

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  このころ、春日太一さんの本にはまっていて、書いた感想です。春日さんは、インタビューの名手として、超一流だと思います。この人の聞き出す話は、仕事とか人生とかの本質に触れていて、ほんと面白い。でも、この文章は、その魅力を伝えるのに舌足らずかなあ。ブログ、書いた先から直したくなります。というか、直すのって、ちょっと趣味です。

 

 

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  森川すいめいさんが書いた、自殺が少ない地域でのルポ。自殺が多く、どうにかならんかと思ってました。そのなかで、かなり、腑に落ちた本ですね。街にベンチがあるとちがうって、実感です。ほんとベンチにすわっていると、煮詰まっているとき、声をかけてくる人っているんですね。

 話はそれますが、今週のサンデー毎日で、中野翠さんが、ニッポン放送のラジオ人生相談で、認識の狂ったひとの相談を聞いて、回答者がそれに切り返して、快感だったと書いてあったんですけど、この番組は、質のいい雑談として、優れてる。雑談って、ほんと大切だと思う。雑談できないひとって、孤独感で、おかしくなっていくような気がします。特に男の人って、抑圧されて、必要なことしか話せなかったするので、大変だなあと思ってます。

 この本の表題のように人の話を聞いても、従わなくても許される、それって、ほっと息をつくために、大切だと思ってます。こだわりに石を投げ込むことが、大切なんだと思います。

 とてつもなく、解決がむずかしい思われることもちょっとしたことで動くという、勇気が与えられる本。

 

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  このころ、真田丸に夢中だったんですね。終わってみると、演出など、色々と、突っ込みどころが多いんですが、勢いって大事だなあ。特に、舞台で鍛えられた、小日向文世の名演技は記憶に残っています。このドラマは舞台系のいい役者さんがたくさん出てて、幸村の叔父を演じた、劇団四季出身の、栗原英雄さんなんか好きでしたね。

 一昨年のブログも送られてきていて、

 

 

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 最近、橋本治さんの二年ぐらい前のエッセイをよんで、アメリカもイギリスも昔はよかったに、はまっていて、とんでもないことになるぞって予言していて、やはり、特別の観察者なんだなあと、再認識しました。そして、イギリスのEU離脱の混乱とか、今や支持率30%のトランプ政権が、現れるってことが起こりました。止められはしないけど、おこっちゃうことはおこっちゃうんですね。

 開沼博の「福島学」は福島で起こっていることをデータを使って相対化していて、日本の田舎で起こっている人口の減少が、急激に起こっていることがわかって面白いです。だから、どこでも役に立つ。いろんな専門家が集まってきてるので、壮大な実験が行われてるっていういい面もわかってよかった。

 

 

 

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  今回、日本語の翻訳、「あがなう」がとても的確だったのを知りました。スマホで買った格安のときの、大日本国語辞典のアプリ、役に立ちました。元々は奈良時代まで『あがう」と言葉で、罪をゆるしてもらうために、いけにえをささげるってことだったらしいです。うらう、うらなうから派生したことばらしいです。占いのときの生贄を捧げるに関係しているのですね。宗教の初期はみんな同じだなあと改めて思います。

 脚本の細かい言葉へのこだわりから、この映画はとっても深い考えでできた娯楽作だと、改めて思いました。そして、私の言葉へのこだわりも面白いです。

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 この年は、お墓まいりに行ったり、 お盆らしい行動をしていますね。こうやってみると、私は年々死を認めつつあるんだなあと思います。このときは、珍しく、夫が、墓まいりに付き合ってくれて嬉しかったです。今年は所用があって行けませんが、先月、夫の母が、たまたま、お墓近くの病院に入院したとき、行ってきました。

 

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  終戦のころにひっそり書いた、戦争への思いです。先の戦争はなにかしら、今生きているひとに影響していると思っています。父の先祖の地は、淡路島で、父がもどっていた終戦の日のころ、写真館を経営していた、父の子供のいない大叔父が、お墓で自決しようとしたそうです。その彼のお墓も、何年か前の、阪神淡路大地震の揺れ戻しで倒壊しました。

 父が、震災後すぐ、なくなる前に、お墓まいりに行ってそうで、気になって、叔父夫婦と私たち夫婦で、その墓を、お盆に尋ねたのですが、江戸時代の古いお墓の納骨の場所が空いてたりして、とても、恐ろしいことになっていました。その後、きちんと、墓を集めた供養塔のかたちですが、綺麗になってて、よかったです。

 自分なりに過去のブログを読み直してみました。お盆ですね。

 

濃密な人生を濃密に「阿吽」 第六巻

 おかざき真里空海最澄を描いた「阿・吽」も六巻まで来た。よみはじめたとき、絵は華麗だなと思いつつ、奈良仏教の腐敗を描いたあたり、ほんまかいな、盛ってるな、アクが強いなあと、反発しながら読んでいた。でも、桓武天皇宮廷の描写が正確なのに気付いて、これは、多少なりとも、あったことなんだろうと思った。桓武帝の息子、平城帝の愛人、薬子は、ほんとの悪女だ。彼女の過去を知ると戦慄する。悪女は作られるのだなあ、改めて思う。

 薬子の乱は、単なる権力闘争というわけでなく、中国の文化が形だけ入ってきて、使いこなせないこと、どんどん入ってくる渡来人の血をひく桓武帝の業とかが関係していると思った。貧富の差がひろがり、新しい文明の恩恵を受ける人、昔ながらの生活にいる人の格差が大変だったことが、描かれている。急な都市化で疫病もはやったようだし。そんな世の中をなんとかしたい。より新しい、生きるための真理を知りたいと、最澄空海が、立ち上がったわけが、浮かび上がってくる。そして、そんな、ふたりが、ついに中国に渡って、弾けまくる第6巻なのだ。

 しかし、なぜ、仏教なんだ。前作の「サプリ」を何巻か読んで、なんとなくわかった。チラ見なんで、どうかと思うが、全巻読むのって、お金もかかって、結構きつい。だから、まあ、ちょっとした感想だと思ってくだされ。

 「サプリ」は、作者の広告代理店、博報堂での体験を基にした、恋愛、お仕事まんがだ。アートなお仕事で、ステキな人に会えて、お金もたくさんもらえる。わたしは、広告代理店って、最近までわかんなかった。子供が小さいとき、築地ちかくのホテルに泊まって、夜、光り輝いている電通ビルをみた。忙しそうだな。でも、築地場外の美味しいもんが、食べたいとき食べれて、銀座が近くていいなあと思ったぐらいだ。読んでみて、修羅道だなあと思った。こんなしんどい仕事、しんどい恋愛、刺激的だけど、のほほんとした私は、しんどいなあ。 

 そのあとの、医療の世界を舞台にした「&ーアンドー」もきついなあ。わたしは若いとき、長期入院したこともあるので、夜中にこつこつと巡回する懐中電灯を思い出した。夜中、働かなければならない、医療の世界も修羅道ですよ。読んでみて、なるほど、作者の中で、このまんが「阿吽」が描かれた、道筋がわかった。

 わたしはこんな過酷な忙しさを味わったわけではないが、色々と生きていくと、宗教の意味がわかってくる。特に東日本大震災で、悼むという儀式の大切さから、宗教の意味がわかってきた。で、最近は、たまに、お墓まいりしたり、お寺に遊びに行ったりしてるわけですよ。

 でも、かつての宗教は、家意識とかの封建性に深く繋がっていたわけで。法事で、先祖のお墓まいりにいったら、反発してるひとに、古いって、鼻で笑われたりした。私たちもだけれど、大きな戦争を経た老人たちの不信感も強いなあと思う。

 星野博美、「みんな彗星を見ていた私的キリシタン探訪記」で読んだけれど、スペインあたりの宗教不信も大変らしい。この複雑で科学的な現代だと、バカバカしいとも思うのは共感できる。でも、いざ、ひとが亡くなってみると、無宗教のお葬式って、まわりがスッキリしないらしい。

  そんな、今、改めて、なぜ、昔、仏教が必要だったか、ちゃんとした信心のない宗教の恐ろしさ、そして、かつてあった、ひとの心を追求した哲学、科学としての、宗教のかっこよさを描いた、このまんがは面白いと感じるのだなあ。 

 

 

 

阿・吽 6 (BIG SPIRITS COMICS SPECIAL)

阿・吽 6 (BIG SPIRITS COMICS SPECIAL)

 

 

 

映画を評論するって、なんだろう。真面目に考えてみた「映画評論・入門」

  このブログで、たまに映画の感想を書いてるが、面白かったとか、ここはも一つとかってことでしかない。でも、自分が生きていた道行で、体験したことを反射させて書いてるので、なにかひとつは自分なりの見方が書けていればいいなあと思っています。なので、本格的な映画評論と私が思っている文章はなにかと思いつつ、この本を読んでいました。 

 モルモット吉田さんが雑誌「映画秘宝」に書いたものをまとめたものらしいですが、私は実は、映画秘宝は読んだことがないです。若いとき見かけたときは、あまりにもホラーとか、カルトな映画の記事が多かったのでびびったし、こっちに来てからは、私が住んでる、ちょっと田舎では、ほぼ、みかけなかったりするんですね。だから、彼の評論を読むのは初めてです。

 で、なかにある、名作とされている映画を、上映時の資料を整理して、今は祭り上げられて語られない、上映時の映画に対する、誤解、そして、欠点、そして、いち早く、気がつかれた映画史的な位置への言及なんかの文章なんか、いたく、共感しました。当時の、名作「仁義なき戦い」とマフィアを描いた、マンダムのCMで人気のチャールズ・ブロンソン主演の「バラキ」が同じような評価なんて、今から考えるとばかばかしいですが、うちの父親が、ワクワクと見に行ってたことが思い出されました。結構、ヒットしたのです。

 あのころ、東映のやくざもを見てるひとは、よほどの映画おたくか、東映映画のコアなファンでしょう。

 でも、のちに、「バラキ」、テレビで期待してみたら、陰気で、地味で、実録ものって、ベタに描くと退屈だというのが、感想でした。確か、あれはゴッドファーザーのスピンオフ的に人気があったのではないかな。今、見てるひとは、ほとんど、いないと思います。そこをきちんと調べて、示してくれるのは、頼もしいなあ。

 映画ライターと映画評論の違いも検証していて、評論とは、じっくりと資料、背景を調べて、映画史的な位置、社会的な意味を考えて、作り手が次の映画に生かすことや、見てるひとが深く映画を楽しむことを示すってことなんだと、改めて感じました。市川崑が「犬神家の人々」のリメイクの際、評論を参考にして、現代的なものを消すためにCGを使ったっていうエピソードなんかそうですね。

 いわゆる映画ライターって、おもに映画の宣伝、紹介に終わっていて、この前、読んだ、某有名サイトの「ムーンライト」の評論なんて、最後は、ださい中年のおっさんの恋愛かよって、BL的な期待に沿わなかったことで、映画はつまんなかったで、終わっていて、がっかりです。

 なぜ、気に食わなかったかまで、少しは、掘り下げてほしかった。主観的で、これでは、好き嫌いでおわる、素人の感想と一緒です。私も見たけれど、地味でわかりにくい映画で、大衆的にどうかなって思うけど、今、アカデミー賞をもらった意義は、感じました。まあ、気に入ったからの贔屓もあるでしょうが。私のみんなに受けるかなっていう、漠然とした感想を説明してくれると、なんだか、納得した気になれる。サイトが安い原稿料で、宣伝で、成り立っているのはわかりますが。

 過去の評論家の人々、淀川長治さんの評論集が玉石混交なことの指摘や、双葉十三郎さんの再評価もうれしかったです。私も、スクリーンの連載、参考にしてました。短い文章で的確で、あっという見方があって、映画館に行こうって、うれしかったです。

 昔は、ちゃんとした評論家がたくさんいたんだな。いろんな文化を背景に、映画で語り合うという、ゆったりとした時間が流れていたのだなあ。

 そんなせわしくなった世の中に、ちょっとした石は投げ込んでる本だと思います。

 

映画評論・入門! (映画秘宝セレクション)

映画評論・入門! (映画秘宝セレクション)

 

 

絵巻ねずみの草子を見に行ってきました。

 

近藤ようこの漫画に、中世の御伽草子を漫画化したものがいくつかある。その中のかわいいねずみが、「お嫁さんがほしい」とつぶやくことからはじまる、ねずみの草子に、わっと、涙したのだった。調べてみると、原作がサントリー美術館にあるという。で、この夏、展示があると知ったので、見に行ってみました。

 裕福で、教養のある年老いたねずみ、権の頭が、清水寺信仰のお加護で、美女と結婚をはたすが、さて、という話です。かなりの数のねずみたちの、楽しいおしゃべりで話が進んでいきます。みんな、しゃれた名前がついてるのが可笑しい。近藤ようこの漫画では、ねずみのいじらしさと、彼を残酷に捨てる姫の冷たさに涙したが、原作は、下世話でもあるのだなあ。 差別される身分のひとの話をパロディにしたと、漫画からもわかったが、原作は、より、マンガチックだ。

 姫君の入浴シーンあり、ごはんを炊く、ねずみのまつことまつえの、ご主人とのエッチの暴露もある。姫の花嫁行列のお付きは春日の局、結婚式のお茶会は利休ねずみなんてのもある。そういえば、日本画の絵の具で利休ねずみってありますね。

 それだけだったら、かわいいだけの話だが、主人公が清水にお礼まいりしている間に、姫君に、彼らがねずみであることがばれてしまう。そのときのねずみたちの絵がリアルなんですね。凶暴なんです。身分のちがいというものが残酷に描かれている。この画面で、見ている人は現実世界に引き戻されてしまう。

 姫に罠で殺されそうになっても、権の頭は逃げた姫のかたみの品をいちいち前に、和歌を読む。かわいい櫛やら、火桶やら。でも、世をはかなんで、出家を決意したねずみは、かわいそうなだけではない。坊主になっても、お魚が食べたい、月に4回はエッチがしたいって、じたばたするのはなさけない。これって、ふるびたおじさんのパロディなんですね。そんな話を、いじらしさを、かわいいに純化する、日本の文化って面白いと、しみじみ感じます。

 元々、昔から類似のはなしがあって、量産品としてたくさんある絵巻らしいですが、これが原作のひとつなんだろうか。一度、きちんと研究書を読んでみたいです。ねずみの屋敷が京都四条堀川、姫君の屋敷が五条油小路って、えらく具体的です。当時のひとだと、どんな場所だか、すぐわかりますね。今は、偶然ですが、京都漫画ミュージアムが近くにあるのかな。

 かわいいねずみたちに心がほっこりします。夏休みの子供向けに、ややこしいところは、端折って展示されているのは、けしからんですが、日本のかわいいの文化を楽しむのは、涼しい東京ミッドタウンは、なかなかいいです。おいしそうな食べ物もたくさんあったし。いい、ねずみ供養になりそうです。

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 展示で紹介されてないところは、販売されている、こちらの絵本で見れます。装丁も利休鼠で綺麗です。監修者の、失恋ってつらいですよねという、解説もいいです。

 

www.suntory.co.jp

 

 

 

 

猫の草子 (ビームコミックス)
 

 

旅がしたい「芭蕉紀行」

 いつか、芭蕉の歌まくらの旅がしたい。そう思ってたところ、嵐山光三郎芭蕉関連の本をたくさん出しているのを知り、この本を読んでみました。旅案内をしながら、芭蕉の内面に迫った良書。 まず、芭蕉の時代で、失われた道が結構あることがわかって、ためになった。そんなけもの道を踏破するひともいるらしいだけど、私は、もう、無理なんで助かる。

 行ったところで、芭蕉と会話し、その内面に迫っていく。有名な奥の細道もなんだけど、あまり、言及されていない旅のはなしも面白い。

 芭蕉のプライベート、芭蕉芭蕉になった大きな理由もしっかりと言及されている。芭蕉は子沢山の貧乏人のあまりっ子だったが、聡明で感じのいい少年だったらしい。それで、身分の高い武士の若様のお話相手として雇われた。形は台所の係り。しかし、その少年は、若様と一緒に、歴史書に乗るほどの北村季吟なんかの俳諧を学ぶうちに、若様を抜くほどの才能を発揮したらしい。しかし、跡取りだった若様が死ぬと、衆道の相手でもあった青年なんて、じゃまなだけだ。しかし、学問を知り、芸術を知ったので、身分通りの生活には戻れない。それから、芭蕉の放浪は始まったらしい。

 この若き日の喪失が芭蕉の人生を狂わせてしまった。江戸で流行の俳諧師として、成功しても、そのことがもとで、内縁の妻としてとどめた女性と跡取りとして引き取った甥に駆け落ちされたりした。芭蕉が、江戸時代、芭蕉を植えた、草深い深川に隠れ住んだのも、それが原因だったらしいですね。芭蕉門下は、武道の達人やらの激情家が多かったりするのは、芭蕉自身もあれだけの旅をこなす頑強で強欲な人間だったからでしょう。それで、若様を追い詰めたところがあったのかもしれない。

 芭蕉の人生の鍵になったこのことが、過去でもあまり語られていないのは、当時、背景にあった衆道が友情の延長線上のありふれたことだあったこともある。そんな感情を描いた西鶴の「男色大鑑」、漫画でも読んでて良かった。当時の感情が少しは想像できる。読書って、繋がってますな。そんな芭蕉が、奥の細道で、俳句を通して、死を知った人間の根本を求めていく。それを旅で追体験してみようっていうのが、この本の趣旨みたい。美味しい食べ物なんかの話もあって、お気楽に見えますが。

 で、私、お盆休み、この中の野ざらし紀行の話にあった小夜の中山、夫の運転で行くことになりました。旅って、面白いんで。

 

 

芭蕉紀行 (新潮文庫)

芭蕉紀行 (新潮文庫)

 

 

モラルと表現「漂流怪人・きだみのる」

 

 

  直木賞をとった三好京三の「子育てごっこ」という本をご存知だろうか。子供ができない分校の先生夫婦が、放浪の芸術家の晩年の子を引き取って育てる話だ。未就学児で躾のなっていないその子を更正させて、ついには養女にする。映画にもなって、美談として、消費された。子供心になんかなって思った。案の定、のちに、その娘がぐれて売春したり、養い親の虐待を告発したりした。

 あの当時は、娘の非行をえがいた「積み木崩し」が、テレビ、映画にもなったりした。まだ、メディアのそら恐ろしさに鈍感な時代の、いやあな話のひとつだ。このモデルになった老人がいた。娘が引き取られる直前、その人、きだみのる嵐山光三郎が、「ニッポン気違い列島」という本をつくるための取材で、全国を回ったらしい。そのころを回想し、その存在の意味を示したのが、この「漂流怪人・きだみのる」だ。

 読んでみて、驚いたのは、戦前、「ファーブル昆虫記」全巻をはじめて翻訳したひとであること。旅したころ、業績をたたえて、全集も出ていたことだ。そして、戦後の村落の後進性を描いた「気違い部落周遊紀行」は映画になり、怪優、伊藤雄之助の主演で大受けした。だから、実は、お金もかなり持っていた。

 彼は、パリで岡本太郎の後輩として哲学を学んだ、大インテリで、とてつもなく、愛嬌のある人だったらしい。しかし、何人もの女の人と関係し、五人もの子供を作り捨て、放浪先でゴミ屋敷をつくり、お金に汚く、人を裏切るロクでもない人物でもあった。

 若き編集者だった嵐山光三郎は、そんな彼と、晩年の不倫の子で、母にうとまれ、行き場がない10歳のミミと呼ばれた娘と旅をする。戦前の「モロッコ紀行」という放浪の記録に惹かれて、いっしょに本を作りたかったからだ。そのなかで、嵐山は、彼と旅をし、彼の作る稀なるご馳走を食べ、教養にふれる。しかし、彼は、多くの尊敬してくれる人が作ってくれた居場所を、ゴミだらけにして、暴言を吐き、だんだんとさけられるようになる姿をみる。

 連れられた娘は、難しい本を読みこなし、海外体験やぜいたくな食事の味を知るが、行儀はなっていない。そして、娘の前で猥談をし、女の人をからかうのを見ているから、子供なのに媚びがある。同行していた、元から尊敬していたカメラマンも、旅の最後には、彼に失望する。嵐山の視線もひややかになっていく。

 そして、ついに、行き場を見つけられない彼は、地方で尊敬されていた教師夫妻に娘を託す羽目になったようだ。教師が、作家をめざしていて、彼をモデルにした小説を書いたことで、トンデモと知ったが、取戻すことはできなく、亡くなる。そのあと、教師、三好京三は、彼らをモデルに直木賞をとる。

 この本のなかでは、その後の娘の道行も描かれる。ロンドン大を出て、イギリス人と結婚し、銀行員になったらしい。その更生には、かの瀬戸内寂聴が、だいぶ、協力した。そして、まっとうな社会への訓練をしてくれた、三好京三とも和解した。三好が現れたのは、才能があるからといって、どう生きたらいいか、本質的なモラルとはと、彼らに親子に突きつけられた、社会の刃のような気がする。

 その後、嵐山光三郎は、会社をやめ、彼が戦前発表した、「モロッコ紀行」の地を家族と放浪した。そして、作家への道に進んだ。彼はこれらの経験で、西行芭蕉もきだと同じ破綻者だと語っている。人間社会を異界をしていきるということは、とんでもないことなんだろう。そのことを心にとめて、嵐山光三郎は、今年も、芭蕉の本を出したらしい。

 三好があの本を書いたのは、晩年のあらかさまな著書の題名にあるように、「なにがなんでも作家になりたい」だったからだと思う。その罪悪感が、書かれているような、娘の許しがたい卑怯なかたちの告発も許そうとした。彼の虐待はなかったとは思えない。川の字に寝るとか、もう、大人の事情を知っている娘には、耐えがたかっただろう。なにより、ろくでもない両親に捨てられたこと、三好に小説のために利用されたことの、傷を含めてなんだろうなと思う。

 それにしても、開高健にも影響をあたえた、破綻者、きだみのる文学史上の意味は、これからも、ひそやかに伝えらていくのだろうな。なんとも、業のふかい人々のはなしだった。なんとなく、モラルってなんなんだろう。社会と反社会とのせめぎ合いを感じたから、私もこの話が心のすみっこに引っかかってたのかな。

漂流怪人・きだみのる

漂流怪人・きだみのる

 

 

空き家の問題

 最近、近所で空き家になっている家が、いくつかに分割されて建売になっている。共稼ぎも多く、収入が下がった若い人は、そういったお家しか買えないのが現実だ。いやなのは、遠くから来ている職人さんが、ほんとにつらそうに工事していることだ。お行儀も悪い。工賃が競合されて、買い叩かれているのもあるとは思う。まわりはなじみじゃないし、孤立感もあるのだろう。でも、ごみを近所にまきちらすっていうのはないなあ。私が外出しているとき、うちの路地でお弁当を食べたらしく、くさったお弁当がらが落ちていた。なん日か経った後で見つけたので、なんともいえないけど、不愉快だった。共稼ぎだったり、ご老人だったりしてるのだ、ガランとした住宅地の荒廃がたまらない。だから、見てみにふりしているか、気づかない。撒き散らされたごみは、わたしを含めた誰かが、かたずけたのだろう。

 もう少し離れたところでの工事では、30前後のひとが、たったひとりで、建築用の車両で整地し、土台作りしていた。そんな不機嫌なひとたちが作った家は、以前あった、家族の思いれたっぷりのいえと違い、窓がほとんどなく、殺伐としている。こんな家に住むひとは、しあわせな気分になれるのだろうか。 古い家でも思い入れのある家は不便でも生き生きしているし、子供が二三人いるいえは、庭が少しあって、広い方が住みやすいと思う。もっと、気軽に賃貸されたり、譲られるようになったらいいなあと思う。そんなことも簡単じゃないんだろうな。しかしですよ。そんなことが、今の世の中の生きぬくさなんだろうと思う。

 しごとを楽しいと感じること、ほっとできるご近所のたたずまい。それが得られないなか、スナック菓子をむさぼるように、みんながつかのまのやすらぎを求めてる。それが、みんなの望んだことなんだろうか。

 

 

 

木のいのち木のこころ―天・地・人 (新潮文庫)

木のいのち木のこころ―天・地・人 (新潮文庫)

 

 この文章を書く、ヒントになりました。薬師寺を作り続けてる大工さんの聞き書き。しごとを楽しむことが自分もまわりも生き生きすることなのかな。