oohama5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと思っています

空き家の問題

 最近、近所で空き家になっている家が、いくつかに分割されて建売になっている。共稼ぎも多く、収入が下がった若い人は、そういったお家しか買えないのが現実だ。いやなのは、遠くから来ている職人さんが、ほんとにつらそうに工事していることだ。お行儀も悪い。工賃が競合されて、買い叩かれているのもあるとは思う。まわりはなじみじゃないし、孤立感もあるのだろう。でも、ごみを近所にまきちらすっていうのはないなあ。私が外出しているとき、うちの路地でお弁当を食べたらしく、くさったお弁当がらが落ちていた。なん日か経った後で見つけたので、なんともいえないけど、不愉快だった。共稼ぎだったり、ご老人だったりしてるのだ、ガランとした住宅地の荒廃がたまらない。だから、見てみにふりしているか、気づかない。撒き散らされたごみは、わたしを含めた誰かが、かたずけたのだろう。

 もう少し離れたところでの工事では、30前後のひとが、たったひとりで、建築用の車両で整地し、土台作りしていた。そんな不機嫌なひとたちが作った家は、以前あった、家族の思いれたっぷりのいえと違い、窓がほとんどなく、殺伐としている。こんな家に住むひとは、しあわせな気分になれるのだろうか。 古い家でも思い入れのある家は不便でも生き生きしているし、子供が二三人いるいえは、庭が少しあって、広い方が住みやすいと思う。もっと、気軽に賃貸されたり、譲られるようになったらいいなあと思う。そんなことも簡単じゃないんだろうな。しかしですよ。そんなことが、今の世の中の生きぬくさなんだろうと思う。

 しごとを楽しいと感じること、ほっとできるご近所のたたずまい。それが得られないなか、スナック菓子をむさぼるように、みんながつかのまのやすらぎを求めてる。それが、みんなの望んだことなんだろうか。

 

 

 

木のいのち木のこころ―天・地・人 (新潮文庫)

木のいのち木のこころ―天・地・人 (新潮文庫)

 

 この文章を書く、ヒントになりました。薬師寺を作り続けてる大工さんの聞き書き。しごとを楽しむことが自分もまわりも生き生きすることなのかな。

「ダウントン・アビー」ただのお気楽貴族ドラマってわけじゃない

 

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ダウントン・アビー、最初、そんなに乗れなかったのですね。でも、シリーズが進むにつれて、そして、最終シーズンにうつるにつれて、テーマがはっきりしてきて、娯楽だけど深いなって、楽しみになりました。このドラマは第一次世界大戦前後のイギリスの貴族のお館を舞台にしてるんですけど、貴族が没落していき、使用人たちが中産階級に成り上がろうとするダイナミックな歴史が描かれていて、楽しいです。

 そのなかで、女性の衣装はロングドレスから膝丈になり、馬車はすたれ、最終シーズンでは自動車レースが大流行りです。領民たちも、ご領主さまに頭をさげるだけだったのが、少し前の回では、お館の見学会に行って、歴史や美術品について質問ができるようになっています。教育を受けた新しい世代は、彼らにものおじしない。

 話がそれますが、それより少し古い時代のトーマス・ハーディの「テス」で、むりやり、成金の愛人にされた主人公が、その境遇をなげきます。それは彼女が教育で自尊心を身につけていたからだとを書かれていて、ちょっと、ゾーッとします。教育を受けていない家族や周りのひとはそのことを歓迎する。もちろん、その不幸は感じるですが。それが彼女を追い詰めていく。しかし、冒頭、教育をうけた運命の青年は、お祭りで、彼女と出会っても、頭でっかちで、彼女とめぐりあえない。ふたりはのちに愛し合うのですが。産業革命はひとをどう変えたか。宝石のやうな小説なので読んでみてください。映像が目に浮かぶのです。

 さて、ダウントンアビーでは、教育をうけた召使たちは自分の視点をもち、雇い主たちの愚かさも笑えるようになっている。しかし、諸刃の剣で、自分の不甲斐なさを嘆くようにもなっている。そんな個性をもった運転手とお屋敷の末娘との悲劇的な恋が最初に出てきます。このあたりはありふれているんですが、その理由を何年もかけて、ふかく掘り下げていったのが、このドラマなんだなあと思います。

 ストーリーは橋田ドラマみたいなんですが、しっかりとした歴史の視点があり、それに応じて、素敵なドレスやら、クラシックカーの数々、そして、華麗なお館の細部が描かれています。そして、今のイギリス社会の私たちのおじいさんたちのころの苦闘をしっかり描いているので、古くないです。次回は影の主役である、いじわる召使のトーマスの悲喜劇が描かれるようです。彼はその古い世界でしか生きれない存在なんです。なんか、年末じゃないけど、押し詰まってきました。

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歩くこと

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 いつから、歩くことが好きになったんだろう。田舎の朝の海岸を、母方のおじいさんとフナムシなんかを見ながら散歩した快感だらうか。かつて、朝8時の法隆寺に行った。確か、六年生ぐらい。弟も連れて行ったのだろうか。今だったら親がとめたかもしれないが、家業に忙しく、かまってられなかっただろう。そんな盗みとる時間が喜びだった。

 お堂の彫刻をみて、この世にこんな複雑でドラマチックな彫りモンがあるんだと、シーンとした朝に感心した。その後、だれもいない興福寺の汚い宝物殿で、触れそうな距離で見た、阿修羅像は忘れられない。そこで買った、土門拳の阿修羅の写真を、ずっと、べんきょう机のそばに、長い間飾っていた。そして、ゆっくりとていねいに歩くと、素敵なモンに会えると信じるようになった。

 子育てに、に詰まってたとき、神奈川県伊勢原市にある大山神社への道、大山街道の本に会い、こつこつ歩きだしたのが、長く歩くようになった、きっかけだと思います。ほんとは、山に囲まれたところに住んでるんで、登山客にあこがれてたけど、体力がなかった。あと、友だち作るのも苦手で。山って、実は女の一人歩きは危険だ。でも、町歩きだったら、旧街道は、バスもたくさん通ってて、途中で切り上げれるし。歩いていると、だんだん感覚的に4キロだと二時間ほど家事をしてる感じだと体が感じて、それからは、すごく楽に歩けるようになった。翌日、休みがあれば、体力も回復するのも実感したし。体が弱くても、年取っても、子供でも、楽しんでたら、10キロぐらい、すぐ歩けるようになる。だから、災害の時も安心してください。どうやら、人間は、潜在的に、それぐらいは歩けます。次の日、動けないことはあっても。

 アスリートの文章で読んだのですが、現役時代は練習で体力を使い果たして、省エネで車で移動していて、引退後、歩くと足も速いので、退屈でたまらなかったと。サッカー少年、野球少年も、町のウォーキングの行事に、体力があるからと呼ぶけど、途中でリタイアしてしまうって聞きましたね。歩くの退屈なんで、観察能力がひつようになる。それをみがくこと、歴史がすきになるとか、特別なお買い物を求めるとか。歩き出すと、体がよみがえってきて、自分の欲望がみえてくるのも、歩くことの快感だ。

 そういえば、ブラタモリで、タモリさんが町には記憶があるっていうけど、大山街道を歩いているとき、最初、お弁当をもってたけど、必ず一キロぐらいで、コンビニとかファミレスがあり、手ぶらで歩くようになった。かつての茶店のあとなんですね。でも、油断して、伊勢原と藤沢の一編上人ゆかりの遊行寺にいく道を歩いたときは、お店もなく、バスもなく、街中で遭難しそうになった。信仰が途絶えたこと、鉄道でさびれたこと、そして、元々は田んぼを突っ切る道だったこと、へろへろになったけど、面白かった。お寺に行けなかったんですけど。

 長い距離を歩いていると、ホントいろんなものが濃密に見えてきます。だから、遠くに行かなくても、旅はできるって実感できるし、なによりも体で考える経験って快感なんだな。

 

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エロ漫画ってなんだろう 山本直樹「分校の人たち」

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 NHKBSの漫勉をみていたら、山本直樹の回があって、そこで紹介されていたので、読んでみたけど、これがびっくりです。若い中学生たちのめくるめくセックスを描いた漫画なんですね。第2巻が都の条例にひっかかったらしいけど、その後、ある人物もその行為に参加して、もっと不道徳なはなしになっている。でも、読んでいて不愉快ではないです。それは、エロ漫画って、なんで書かれているか、読まれているかに、迫っているからだと思います。

 エロなもんって、初めて見るのは、遅い子でも、みんな中学生ぐらいなんじゃないかなあと思います。まだ、中学生って性に目覚めるころです。春の爆発があって、理性が効かない。でもですね、今の高度な文明社会では、エッチなことなんかされたら、社会の秩序が保たれない。お金のやりとりがサービスのやりとりの時代に稼げないこどもが、こどもを育てることになる。でも、生身の人間はたいへんなわけです。そういったことを問うたのが、このブログでも書いた「クーリンチェ殺人事件」そして、紡木たくの「ホットロード」とかだと思います。どちらも不良のはなしで、そういった命の力がつよい子たちが、どう生きたらいいかっていうのがテーマです。紡木たくのころのまんがは、わたしより、少し下の世代のひとが読んでいたので、ほとんど読んでないですけど、気分はわかります。ヤンキー漫画多かったです。これらは幼い母になって、でも、しあわせって、はなしが多かった。まだ、ギリギリ社会の支援があって、運のいい子、かしこい子はサバイバルできてたかな。そういったはなしの凝縮みたいなはなしだと思ってます。

 山本直樹の代表作は未読ですけど、学生運動の顛末を描いた「レッド」です。村上春樹のブログで書いたけど、この抑圧された性欲の問題は大きいなと思っています。勉強って、ほんらい、体の弱い子がするもんなんだと思ってます。ほら、メガネの子が伝統的におおいでしょう。それは体的な欠損の象徴だと思います。それを強い健康な子たちを閉じ込めてさせる。ましては数が多いとなると、不満が爆発する。最初はそんなことではないかな。人間の動物的な部分の抑圧が爆発したと思います。でも、結局は、強い個体が弱い個体を蹴落とした、そんな結果に終わりました。

 わたしの通ってた高校は左翼系が強くて、同級生で入っちゃうひと、まだいたけど、もう、アホらしかったです。出版関係なんか、東京に出てきた彼の周辺にはけっこうそういう人がみじかにいて、田舎育ちの彼は、色々と感じることあったと思う。なんで、あんなことになるんだろうと。人間の動物的なことへの好奇心。そして、その裏のエロスってなんだろっていう好奇心が、この漫画を描かせてるんだなあと思います。しかし、裏しか読まん、わたしもひねくれてるなあ。

 このまんがの過激なセックスをしている人たちは、実は大人の私達であるんだろうなと思います。セックスをするときは、内面は中学生にもどる、ってうか、動物的なことなんですね。そこが伝わってきます。そして、それに参加してくるひとは、そう、かつて、中学時代に好きな子とそうしたかった、あなたなんだと思います。

 山本直樹は、雑誌「マンガ・エロティクス・エフ」に深く関係していて、そこで、今日マチ子高浜寛志村貴子なんかの性を含めた作品の発表を手伝っていたようです。えっちだけど、質のいいまんがを描く場所ということでしょう。それも、廃刊されて、ネットのすみっこで描いているとは、社会も余裕がなくなったのか、それともアメリカ的な建前の社会になったのか、曖昧なものが、よくも悪くもなくなっていっているのだと思います。

 

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私と恋愛

 村上春樹の「TVピープル」を読んで、私と恋愛についてつらつら考えた。私はそういえば、恋愛自体を拒絶していた。恋愛したら、ストーカーになるんじゃないかと。恋愛の結果が結婚でないと我慢できない自分がいたからだ。それぐらい、若い時は前時代のモラルにしばられていた。まわりは恋愛を楽しんでいたのにだ、そんな私はもてない劣等感をかんじた。読んでいて恋愛に限らず、するべきときにしない、するべきことを我慢する、それがどんなに自分をそこねたか、それが彼の小説をよむ理由なんだなと感じた。そういったひとは多いのだ。

 

 この短編集は、「ノルウェイの森」と「ねじまき鳥クロニクル」をつなぐものだと思った。作品としては表題の「TVピープル」と「眠り」が素晴らしい。でも、はっきりと彼が「ノルウェイの森」を書いたかわかるのは、不器用な「われらの時代のフォークロアー高度資本主義前史」だ。それは若い男女の恋愛のみちゆきを描いたもので、性的に結ばれることを拒ばんだことの悲劇だ。そういえば、彼ぐらいの世代の大学なんか行ってたひとで、こういうひとは、結構多かっただろうなと思う。今は、お互いに独身で、好意がある男女は半年もしたら、いたしてしまうというのが自然だろうなと思う。まあ、大概のひとはそうなるだろう。それを寸止めにするのは、前の時代のモラルだ。だが、それは若年の妊娠をさけるためとか、女性が18ぐらいまでに結婚をしていた時代のものだ。

 前時代が何千年かかってつちかった、矛盾がある経験則をのりこえること、それには、彼らは子供として、もっと知識や経験をつむことが必要だ、動物的な繁殖なんぞとんでもないという時代が、はじまったころのはなしだ。だいたい、作中の女性は、有力者の奥さんでしかない。子供もいない。そこにあるのは退廃だけだ。不自然なことをして、大学に行っても、充足は得られていない。今でも、日本では、社会で成功してる女性は独身であることを強いられる。「ノルウェイの森」は、そんなどこの近代社会でも起こった、社会の勝ち組になるには、動物的な充足から目をそらせというメッセージとの戦いの痛みだったんだろうなと思う。そのなかで動物的充足をもとめたのが学生運動で、それは勝ちたい人に利用されただけだったんじゃないか。村上春樹はそれらが見えて、そこを踏み外したひとなんじゃろと思う。で、ジャズバーなんかを経営していた。

 そんな彼が近代戦争という社会のシステムと個人の問題に行き着いていったのはわかる。そうなのだ、ソルジャー、戦士というものは、繁殖を拒絶しているものですね。人間の方がアリのシステムを利用している。

 

 そういえば、見合い結婚して、5年間ほど、子供ができなかったときに再会した彼らは、ひどくかっこ悪かった。あるひとが妹がこどもに預けてスキーに行ったのが憎いっていっていて、白けたのを覚えてる。私は結婚を維持するために、男女のことにキリキリと向き合っていたからだ。その充足感があった。

 

 今になったら、彼女の優越感、そして、恋愛の喜びのはての子育てのむなしさはわかる。しかし、それはよき結婚の新しい手段でしかなかったのだな。まあ、大概、それでいいのだと思う。でも、どこかで人間は肉体に裏切られる。今、でき婚が多いのも、不倫が多いのも、恋愛と結婚がいびつな形だからだと思う。でき婚は恋愛を結婚に結びつけようとする無理さを感じるひとが多い。心が離れているのに、こどもをダシにしているのだ。不倫はこどもを産むべきときに結婚できないからだ。それは、大きく言えば、システムの恩恵をうけるための犠牲なんだろうなっと思う。なんか、こう書くと嫌なモラリストみたいだなあ。ようはいらん傷はいらないということです。たぶん結婚なんかは、いたしたいとか、もう少し大きいお家に住みたいとか、理由が単純だったほうが健康ですよってぐらいでいいと思う。

 「ノルウェイの森」の直子側から書かれている、「眠り」は傑作です。主人公は平凡な生活を送っているが、魂は死んでいた。モチーフは「アンナ・カレーニナ」なので、愛読者としてはとても嬉しかった。思えば、肉体的に強者だけど、死すべき立場の戦士が、それをあやつる官僚の妻を奪う話ですね。しかし、新しい関係のなかで子供はできない。生々しいぞ。ロシアの小説は、近代社会と個人の問題に迫った近代文学のキモだと思っている。まあ、ドストエスキーを読んでないシロウトがいうことではないけど。人と社会のことは、たっぷりとした自然があるロシアでこそ、考えられたのだと思う。

 

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TVピープル (文春文庫)

TVピープル (文春文庫)

 

 

 

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みみずくは黄昏に飛びたつ 村上春樹インタビューを読む

私は小説のバックグラウンドものはほとんど読まない。でも、「騎士団長殺し」のみみずくが可愛いかったので、この本の装丁にひかれてしまった、読んでみて、主人公と、出てくる謎の人物、免色さんの年齢設定が重要なことは読み取れていたなあとうれしかったです。村上春樹は三十後半の主人公を常に描いているのですね。さうですね。この時期は亡くなったり、ずいぶんと人柄が変わる人が多いなあと思っています。人間の生物的な寿命は、本来はこの頃だからからかな。村上さんは人の完成はこのころで定まると確信があるようです、そんなことが、このインタビューから感じられました。そのながれで、村上文学の主人公たちのよくある、あんな優雅な三十代があるかとの疑問に、川上未映子さんがズバっと切り込むのが心地いい。それにどう答えたか、その辺り、面白いです。また、女性が常に性を通して主人公を導くのは、ファミニズム的にどうかにも迫っています。川上未映子さんの小説読んだことないけど、読んでみたい。そう感じさせる鋭さです。プロどうしの話なので、ただの読者には、読み取れないことの多いこともありましょう。まあ、彼女が熱心な読者なのを割引いても、本を読んでもらう戦略だとしても、フェアないい本だと思います。こども時代の話など、洞窟の語り部のように、心がけて小説を書いている彼が、特異な存在である謎が、少しわかったような気がしました。 この本は、なぜ、彼の本が世界で読まれるかを、心の地下一階、二階にたとえて語り合っており、刺激的です。 また、やはり、「ねじまき鳥クロニクル」が、彼が代表作だと自負する存在であること、オウム事件のインタビュー、「アンダーグラウンド」と」「約束された場所で」とを読まないと、小説の謎が解けないことは納得でした。日本人は、あんまし三作を読まないようですね。切実すぎるから。今も続いているなにかしらと関係あるからかなあ。クロニクルは客観的な目でシステムとたまごの問題に迫っていて、色々悩んでた頃、ずいぶんと、この作品に、私は救われたと思っています。今回の新作は、同じように、村上春樹の先の戦争から続く、人々の沈黙への問いかけのひとつだと思ってます。エンターテイメントして面白く、そして、すごく読みやすい文章でワクワクしました。 重要な小説で読んでないものも多く、早速、短編「眠り」を探してみて、拾い読みしました。主人公が読んでるアンナカレーニナの現代版で、改めて、トルストイ読んだら、今どう感じるだろうと思いました。長編で大変なんですけどね。小説って、改めて、手間かかるけど、読みたいと思いました。