oohama5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと、書いています。

不幸とか幸せとか 成瀬巳喜男「浮雲」

 TOHOシネマズに「午後十時の映画祭」という古い映画を紹介する企画があり、成瀬巳喜男の「浮雲」見てきました。「浮雲」はNHKでDVDで録画していても、どうにも見られなかった映画です。男女のドロドロって苦手なんです。しかし、デジタルリマスターなんだしと、改めて見てみました。いわゆるメロドラマです。戦争中、植民地の森林関係の仕事をしていた、妻持ちの女たらしのダメ男に、戦後の貧困期、ヒロインは振り回される話です。そして、いろいろあって、逃亡先の屋久島で、男の仕事中、たったひとりで、病によってつまらない死に方します。映画は美しい死顔で説明なく終わりますが、林芙美子の原作は、モノローグがあって、ダメ男の死んでくれてほっとしたという、感慨で終わるようです。そのあたりも成瀬巳喜男は、しっかり、ほのめかしていたように思えたのが、考えすぎだろうか。病人の世話をする島の女、浦辺粂子が演じているのですが、妙に色っぽい。わざわざ、当時むずかしかった所属映画会社をこえて、出演してもらっているのですね。晩年に、おばあさんになった彼女を知っている人少なくなったけど、元不良です。だから、女の人に寄っかかってしか生きていけない男は、その後、どうなるかなんとなく感じられような気がします。

 男を演じている森雅之は、甘えが感じられる、疲れた中年男です。名演技もありましょうが、このあたりもリアル。やさぐれてるんです。略歴によると、いろいろと女性とあったようです。そして、ヒロインの高峰秀子も、原作の林芙美子、脚本の水木洋子、そして、監督も、いろいろ男女のくるしみで、泥だらけになった経験があるみたいなのです。ひとのダメなところを知り尽くした人たちの映画です。そして、そこにある、どうしもようない愛を語った映画だと思います。私はあまちゃんなんで、若いときは、もうひとつ、わからなかっただろうなあ。

 この映画は、そんな男女のあれこれを、みじめに、しかし、美しく描いています。ヒロインの高峰秀子が、ともかく、美しく撮られていて、どんなにひどい境遇でもきれい。そして、性愛の世界にもしっかり踏み込んで、男が若い女によろめくありさま、しかし別れられない様子なんかいいですね。脚本の水木洋子が、なんでこの人たちが別れないですかと聞かれたとき、セックスがよかったからでしょって言い放ったようですが、そこのあたりが細かい。最近の日本映画にはないなあ。アメリカ映画あたりでは、しっかり、そういう大人の大作映画があるのですが。当時の荒廃した東京の風景、屋久島の風景、豪華な配役、風格があります。お客さん、結構たくさんはいったろうな。そんななかで、ヒロインのみじめな死は、愛に生ききった満足感さえ感じさせられるのです。なんというか、面白いよ。今見ても、それなりに満足できる映画だし、その後に影響を与えた映画だと思います。

 「午後十時の映画祭」三月の最後の二週間は、この映画とメリル・ストーリプ主演の「愛と哀しみの果て」を上映するみたいです。彼女に、トランプにたてついた貫禄のある女優さんというイメージしかないかたはどうぞ。代表作です。「バベットの晩餐会」の原作者の作家さんの若いころを描いた名作で、かなり社会的な映画のようですよ。かつて、上映されたとき宣伝がむちゃむちゃだったので、私は見逃しましたが。「午後十時の映画祭」は、古典をきちんとを見たいとき、いいです。しかし、いつ行っても、平均年齢70才ぐらいってどうなんだろうか。若い人でも必要な人いると思うんだけど、ただ、だらーと映画を流しているだけではつまらないです。なんかもう少し活気がでる、いい方法がないだろうか。大画面で見る映画館ならではの楽しみもあります。

 

 

浮雲 [DVD]

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村上春樹「騎士団長殺し」読みました

 

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いつもは文庫になってから、読んだりしてたんですが、今回ははやばやと第一部をよんで、急いで第二部を手にいれて読みました。エンターテイメント小説として抜群に面白い。まあ、村上春樹エッセイいわく、まんまとaddictionにかけられたのかもしれませぬ。ちなみにaddictionって、宇多田ヒカルの歌で覚えた言葉です。

 はまったのは他の訳があって、舞台が何度も行ったごく近くの場所なのですね。桜で有名な場所ですが、シーズンオフにも結構行っています。一番の思い出は、子供が小さい頃、家族で出かけて、きいちごをとったことです。谷間がせまく気候がコロコロ変わるのか、不思議なことがおこるので、心惹かれるのです。ちょっとしたパワースポットだと思います。あの場所が選ばれたのはこの話のたいせつな要素、谷間が狭いということなのだろうと思いますが。

 登場人物のメンシキという男がほぼ私と同じ年だということも、実は重要なことでした。かのオウム真理教の幹部って、私とほぼ、同世代でなのです。私も彼らと少し接点があったりします。東京、大阪では、以外とそういう人多いのではないだろうか。知り合いの知り合いとかね。もちろん、オウムのルポ「アンダーグラウンド」を書いたひとだから、気にしてしまうのです。私たちの世代というのは、かの学生運動が挫折した頃に生まれたこととか、科学がいろんなことを解決したかに見えた頃だと思っています。ちょうど私が生まれたころに、出生時の死亡率が10人にひとりにぐっと減ったとか読んだことがあります。確かに、都会では、ほぼそのことは見えなくなっていたけど、東北とか北海道の奥とかで、子供たちが死んでいたのです。意外だったのは、ハンセン氏病の特効薬がでたのも、この頃なのです。

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 若いころも、私が学校を卒業したころは、ちょっとした就職難でした。次の年ぐらいからバブルで、大企業でイケイケとなったのです。そういう意味では境目の年でした。同じ年でうまく就職した人はその恩恵をうけ、派手な生活をしていましたが、出来なかった人たちは辛かったなあ。もちろん、好景気の恩恵はそれなりに誰にもあったようです。たった一年ぐらいの差ですよ。そういう意味では絶妙な年齢設定なのです。わかっていて、村上春樹は設定しているのかな。科学は万能だと無邪気に信じられたころに生まれ、その人にもたらす、善と悪に気づかされた人生のたびゆきだったと思っています。

 その後、つらいひとを見下げ見捨てることが、本音がたいせつと、ひそやかに始まっていたことを、バブル崩壊のころに気づきました。真面目を笑い、モラルを笑うことです。そんな個人的なこれまでの思い、そういった気持ちを渦巻かせる小説でした。

 読み込んで感じたのは、思いを引き継ぐこと、そして表現することのたいせつさです。このなかで、死に行く老人と、ひきつぐだろう子供が救われます。こどもってなんだろうね。すごく気になります。舞台となった場所は、すごく女性を感じさせる場所なのです。そして、手付かずのむかしの痕跡がある地域なのです。

 小説のなかで、なにかしらの秩序がこわされたこと、そのために主人公がなさなければならない不思議とはなにか。そして、騎士団長殺しとはなにか、読んでみてほしいです。もちろん、おなじみの村上春樹の小説にでてくる、いつものアイテムも散りばめられています。

 もうひとつ感じたのは、表現することについて、励まされたことです。すべてのひとに言葉にできない体験、思いがいっぱい溢れてると思います。私自身もブログなんか書いてると、自分は聞いてほしい、知ってほしいというスケベ心の塊なんじゃないかと、戸惑ってしまうことがあります。そんなことはない、まず、自分を救いたいというきもちで表現してるんだ。それでいいのだと思いました。あふれてしまう何かを表現することは、まずは、よきことかなって感じられて、ほっとさせられる小説でもありました。

 

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騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

 

 

世は移りゆく「買い物とわたし お伊勢丹より愛をこめて」  山内マリコ

 先日、沖縄に行ってきました。12月ごろから、沈みきっていて、お正月準備もままならない。で、旅行でもいこうかと、格安チケットで予約してガイドブックを読んでみたもの、全然のらないどうしようかとと思っていた前日、この本を読みました。そのなかで那覇の壺屋やむちん通りで陶器を買ったことが書かれており、やっと楽しむ欲がでてきました。本の通り、若い作家さんのしゃれた感覚の陶器があり、店員さんも親切、一日中いたいぐらいでした。作家ものの小皿を4枚買い大満足。もちろん、ガイドブックにも書かれていたのだけど、観光地の陶器ってがっかりすることが多かったので素通りしていたのです。おもちゃみたいなのだったり、ひとりよがりだったり。この本は身銭でお買い物して、ものの良さを描いていて、お買い物のたのしさを改めて思い起こさせてくれました。ロンシャンのバック、私でさえ古くておばば臭いと思っていたけど、欲しくなりました。

 まえがきによると、かつての文春の人気エッセイ、中村うさぎの「ショッピングの女王」のようなものをと、頼まれて書かれたようです。「ショッピングの女王」面白かったです。ただ、あれは買い物依存症の赤裸々な記録で、お買い物が嫌になる話です。そうでない人もいるかもしれないけど。買い物依存症は、世界のかつての貧困が背景にある。手芸品を売るお店で店員してたとき、しみじみ患者さんを相手にしてて思ったなあ。話はそれますが、中村うさぎラノベ極道くん漫遊記」、子供たちがアニメで見てて、手に取りました。なかなかに面白かったですよ。私より少し上の世代ですけど、感じるところがあって、いくつか読みました。この作者にも通づるところがあると思います。この本で、山内マリコさんの世代の金銭感覚というものは、だいぶ私たちと違うんだなと思いました。中村うさぎはお金を払うことの目的を所有といい、山内マリコさんの本はブランドへの応援として払うとあり、時代の価値観が随分と変わったなあと思いました。

 ほかに面白いなあと思ったのは、本のなかで源氏鶏太獅子文六への敬愛を示していることです。かつての流行作家という、そういうものを目指しているのだなあと思いました。獅子文六のちくまでの復刊本、私も読んでいて当時の風俗、商品がしっかりと書き込まれているけど、古びないエンタテイメント性に感動しました。しっかり商品とか調べたもん。作者は「コーヒーと恋愛」が気に入ったようですが、何度も用事で新幹線に乗る羽目になった私は、今も変わらない東海道線の景色の描写に感動して、鉄道ものの「七時間半」がお気に入りです。ちくまで源氏鶏太も復刊されてるようですが、私の子供の時、まだ、たくさん、本屋さんに文庫本で並んでいました。その本屋さんは、同級生のお父さんが経営していたので、感想、聞いてみたかったです。

 

買い物とわたし お伊勢丹より愛をこめて (文春文庫)

買い物とわたし お伊勢丹より愛をこめて (文春文庫)

 

 

   この本のことは、新作「あのこは貴族」という東京の富裕層に取材して描いた小説のプロモートで知りました。なるほど、ふたりの作家さんを意識してますね。都会のハイカラで裕福な生活を描いた作家さんたちです。それだけでは、この本を手に取らなかったのですけど、気になっていた郊外生活、地方の県庁所在地の憂鬱を描いたと聞いている「ここは退屈迎えに来て」の作者でもあることを知り、手に取ってみました。彼女は一筋縄ではいかない。小説、読んでみます。

 

あのこは貴族

あのこは貴族

 

 

 

ここは退屈迎えに来て (幻冬舎文庫)

ここは退屈迎えに来て (幻冬舎文庫)

 

 

谷口ジローに再会する「遥かなる町へ」

 谷口ジローさん、亡くなりましたね。ほとんど読んだことないし、なにかお悔やみめいたものを書くのもおこがましい。この前、永六輔さんが亡くなったときも思いました。彼の書いた市井のひとの生き様を聞き書きした一冊は、たしかに私の人生のたいせつなものになっています。しかし、故人をよく知っているわけでもない。だいたい、ライフワークのラジオ聞いてたわけでもない。谷口ジローも、なんども読んだ「冒険手帳」という本に、彼がアシスタントとして参加していて、さし絵の石川球太さんがその才能をたたえていて覚えてるだけです。しかし、火のおこし方を実践してみたりした、私にとっては大切な本なんです。そういえば、この前読んだ諸星大二郎の「西遊妖猿伝 大唐編」におしっこを漉して飲む方法が載っていたんですけど、彼も読んだんでしょうか。まあ、よく知られた方法のようだからね。そういえば、ジャンプの連載なんかもっていた時期、彼の本当のよさがわからなかった。いつか改めて感想を書きたいです。

 谷口ジロー、この頃ぽつぽつ読んでますが、Kindleとかネット書店のおかげです。今更かよって思うでしょうが、たぶん、今なんです。ひとつには彼の本が高かったこと、ほとんどの本屋で見かけなかったからです。もうひとつは私が年をとって、まあ、贅沢していいかって思えるようになったからです。残りが見えてきたからですね。

 谷口ジローというひとが活躍しているのを知ったのは関川夏央とくんだ「坊ちゃんの時代」の評判を聞いたからです。その後、通販生活を購読していて、「散歩もの」を読んでました。面白かった。もっと続きがよみたい、そう思ってました。

 そういった流れで、改めて、今回、谷口ジローの代表作の「遥かなる町へ」を読んでみました。ある男が故郷である鳥取県倉吉市に行って、中学生時代の自分にタイムスリップするはなしです。倉吉、この前、地震で被害があった町ですね。今回の死去に強く関わっているような気がして、興味がわきました。

 谷口ジロー鳥取市の出身なので、ほぼ主人公は分身のような感じで描かれています。すこし、ネタバレになるのですが、主人公は、かつての憧れの女性とつきあってみたり、失踪した父親を止めようとしたりします。しかし、それでも父親の失踪のなぞの多くはわからないし、母親のそのときの気持ちのなぞもわからない。初恋の女性とのその後も描かれていない。だいたい、この記憶が改めて彼が生き直したことなのか、忘れていただけのかも曖昧なのです。そして、この話が、最後には主人公の記憶であるかさえ曖昧になります。この漫画の魅力は、謎が謎なままであることであるように感じました。

 ドラマになった孤独のグルメでも感じたのですが、説明が少なく想像の余地があるのです。それは彼の漫画が絵画的だということと、関係あるんじゃと思います。絵画はみっちりと情報が入っていますが説明がない、それゆえに謎を取り込むことができます。たとえば、有名なフランスの「貴婦人と一角獣」のタペストリーを見てるような、大げさかもしれませんが。この本をみて、万華鏡のように解釈できる、そういったものを、風景をえがくことをとおして、目指していたのではないでしょうか。

 倉吉を舞台にした作品がまだあるようです。まだまだ、謎を知りたいのです。それにしても、ひとが亡くなると、「よみびと、知らず」ということばがよみがえってきます。そのひとがどんなひとか関係なく、思いは残っていくのでしょう。

 

 

 

冒険手帳―火のおこし方から、イカダの組み方まで (知恵の森文庫)

冒険手帳―火のおこし方から、イカダの組み方まで (知恵の森文庫)

 

 


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ささやかだけど大切なこと

 10日ほど前に、私の「映画館に行こう」というお題のブログが紹介されていて、1年前ほど前の隅っこの記事を、よくぞ紹介してくれたなあと感謝しています。映画を見る若い人たちに、ぜひぜひ感じ取ってもらいたいことだったので、うれしいです。

hatenanews.com

 この記事には、映画館の中のひとの思い、地方の映画館に出かけた体験、海外の映画館で感じたことを紹介したブログもあるので、どうぞ、旅の時間のひとつに映画館を体験してほしいです。映画館で映画を見る楽しみのひとつは、お客さんを見ること、そしてその土地の風土を見ることだと思ってます。なにが流行っているか、どんな風な文化なんかの普段着のすがたが見れます。それに目的があるので、いちげんさんが入りやすいですし。映画館はひとりになれるけれど、ひとりでない空間として貴重なものです。

 私は海外ではインドの映画館に行ってみたかったです。かつては男女別れてだったりするので、たいへんそうでしたが、人声が絶えない娯楽のしての原点があったような気がします。地方では、くまモン小山薫堂の故郷、天草の映画館なんか行きたいなあと思います。ドキュメンタリーのなか、安西水丸さんと来訪した映画館は映画愛と郷土愛が強く感じられてよかったです。

 そういえば、奥さんのお掃除で暇になった村上春樹が、年末を新宿歌舞伎町の映画館で過ごすエッセイがすごく好きです。あの、孤独だけど、ゆるやかな自由な年末の感じこそ、映画を取り巻く空気感だなあと思います。映画館では多様な自分に出会えます。多様な自分って、どこかいろんな人と共感できる自分なんだと、自分を好きになれる。こんな恋愛はしたことがないけど、それが気にいる自分。運動神経ばつぐんではないけど、その空間が体験できたりもします。とにかくに自分から少しはみ出してみる、そんな体験のために映画館を思い出してくださいね。

実感としての戦争「戦争と一人の女」

 こどものころ、 戦争体験をかたる人の話を聞いていると、一種の冒険談のようなはなしになって、目が輝やくのって不可思議だった。かの太宰治疎開先を転々としながらも、一番健康だったのは戦争中だったと吉本隆明の本でよんだ。障害者も仕事が初めて回ってきて、そのときだけは人に頼りにされ生きている実感があったと語っているのも読んだことがある。戦争にはなにもかもをかき回す、誰もが参加可能な祭りのようなもんなんだなと思う。だいたい、お祭りで、何人かが不慮の事故で死ぬことがつきもんだったりする。争い自体は退屈しのぎというか、ぎくしゃくした社会のおりを吹き飛ばすため、人間につきものなんだろう。しかし、近代戦争は多くの物量と人数を破壊するので、反戦というかたちで防ごうとされている。しかし、戦争が人間の社会の装置であるかぎり、その実態は変わらないのかもしれない。

 戦中戦後の坂口安吾の小説を漫画化した「戦争と一人の女」は、そんな生き抜くための高揚感がただよっているような気がする。女郎出身の不感症の女がいる。その欠落感を埋めるためにいろんな男と関係するが、戦争になって、寄る辺なさそうな男と一緒になる。戦争のあいだ、真に心を結べない男女はお互いに執着するが、終わってしまうことでその無理が終わってしまうことを予感する。無理が通る、それが戦争のなかにある何かなんだろうか。

 立ち返って、古い本を読むということはなんだろうと感じた。若い人に今生きてる実感がない古典を読めっているのは酷だろうなと思う。しかし、自分が感じてることは、かつて誰かが感じたことであるのを知るのは悪いことではない。この本の社会の犠牲になって不感症になった女と、それを克服するためのどす黒い気持ちが、戦争に通づる、なにかをかきまぜたい気持ちに通づるんだと思う。不感症が悩みになるっていうことが、結婚という制度に守られた女が男女の一体感を感じられているという錯覚だ。そんな、自分でも頭ではわかっていても、体で実感できないなやみというのは、ごくそばにある気持ちで、それが克服されていないということが、古典を読む意味の一つかなとおもう。

戦争と一人の女

戦争と一人の女

 

 

雨宮まみ「東京を生きる」ことばにできないこと

 雨宮まみの「東京を生きる」を読んだ。なんとなく呼ばれて、デビュー作の「女子をこじらせて」もよんだが、そちらはいろんな要素を詰め込んで読みずらかった。その混沌をそのままさし出したのが、こちらの本だ。たった5年ぐらいかな。こんなに簡潔な文章に進化してるとは、ほんとに生き急いだのだな。故郷をはなれた理由のひとつに、博多の繁華街の東京の最上の上澄みがある世界とほんの10分ほどしかはなれない高校生しか乗っていない電車路線をあげていた。私も地方の県庁所在地に降り立つと、その虚構性は強く感じる。しかし、目を背けて消費を楽しむだけなら、気にならないで生きていけるひとも多いのにと感じた。確かに田舎の優等生はつらい。勉強ができるだけに美貌や振る舞いなんかを値踏みされた上に、家族のなかで別の階級にならされるのだ。東京で何事かをなすために特別にあつかわれたひと、しかし、東京でひとりぼっちの女ができることなんてしれている。東京で生まれただけであらかさまな下駄をはかせられているのである。学生時代、地方の優等生の男の子たちと遊んだことがあるが、下宿していてる彼らが、大阪のデパートのビアホールにいくのさえ、頑張らなければならないと知った。それなのに大企業に就職して、バブルの頃とんちんかんな背伸びを覚えていくのである。都会にも、もちろん見えない壁はある。大学から住んでいる町の駅に降りると、子供時代の知り合いたちはチリチリのパーマをかけて所帯染みていく。なんで部活の先輩の結婚して子供のいるひとたちはあんなに若々しいのだろうと。そんな女の子たちを彼らは目指す。そこにこまかな階級というものがあるのがわかる。私は彼らのどちらにも媚びることも同化することもできなかった。卒業してから、貧しい人たちと一緒だったため、親戚に差別されて沈んでいった両親と、ものが投げやりに置かれた実家でひそんでいた。東京に行くなんて思いもしなかった。誰かに一生養ってもらうしかないと思っていた。

 そんな私にとって雨宮まみの東京での冒険はてんで縁のないもんである。ただ、下町の同級生の優秀な男でさえ、40代で子をなすような東京で、女として名をあげるなんてとんでもないドンキホーテの努力であることはわかる。しかし、彼女の生き方は、彼女の本は、私の心に響く美しさがある。本の真ん中で藤圭子のうたう「マイウェイ」についての言及がある。藤圭子はわたしとっても、気になる人だ。デビューのときの「圭子の夢は夜ひらく」は名曲だと思うけれど、それからの曲はなんだかそぐわない気がして痛々しかった。そのうち前川清と訳のわからない結婚をして影が薄くなった。その後見たのは、米軍ハウスかなんかに親子三人で住んで、良質な三枚の食器を示してシンプルで素敵な生活をしていた彼女だ。かっこいいなっと思った。たまにタモリがMCをしていた「今夜は最高!」で楽しそうにポップスを歌っている姿をみた。話はそれるが、あの番組好きだったなあ。音楽を楽しむってこういう感じだと思った。そんななか、嬉しそうに娘自慢をしている姿をみた。いつも、本気で幸せそうだった。その裏で、正反対の極端な浪費とかしていたのだなあ。村上春樹のエッセイで、彼女に町のレコードやさんかなんかであったエピソードを読んだのはそのころかな、あまりにふつうで素敵な彼女があんな歌を歌わされて気の毒だったという話だったような気がする。ひどく同感した、幸せであって欲しいとひどく思った。そのうち宇多田ヒカルがデビューして、あまりの天才ぶりに彼女は歌を歌わなくなってしまった。なんだか寂しくてSNSで彼女の影をさがした。私は藤圭子が旅芸人の娘というもっとも古い価値観を持つ階級の出身であることを知った。そして、中学生時代の勉強ができる美少女である彼女への憧れに満ちた、同級生のホームページを読んだりした。あんな死に方をしたので閉鎖されてしまったけれど、その彼女も彼女だったんだろうと思う。雨宮まみは、すばらしい才能に振り回され、別の人になりたいと願ってもなれなかった彼女と同じように、平凡な私もあなたも自分以外にはなれないとその章を閉じる。改めて問う、私の前に一瞬あらわれた、彼女こそはなにものか、そんなことをこの本を見て思った。

 

 

東京を生きる

東京を生きる

 

 

oohaman5656.hatenablog.com

 最近、村上春樹川端康成を気持ち悪いって思っていることを知った。藤圭子と同じ目線でみていたのだろうと思う。私は実は嫌いではないのだ。どちらか言えば古いものと共存するタイプなんだろうな。